研究活動

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2015年度 グループ1ユニットB 第1回研究会

報告題目1900年厦門事件追考―真宗大谷派の事件関与と世論対応を中心に―
開催日時2015年9月11日(金)16:30~18:00
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者中西直樹(龍谷大学文学部教授)
参加者15人

【報告のポイント】

 1900年8月24日,中国福建省の厦門で真宗大谷派の布教所が消失した「厦門事件」が起こった。本報告では,この事件に関与した大谷派の布教事情に特に注目し,政治的な面からの考察が中心であった先行研究とは異なる,新たな視座からの検証が行われた。

【報告の概要】

 真宗大谷派の南清布教は,渥美契縁が大谷派の財政赤字を解決するため,海外布教を名目とした資金集めを行ったことなどにより開始された。この募金事業によって,渥美は批判され失脚したが,替わって石川舜台が,仏教公認教運動の旗を揚げ,海外布教が政府に貢献することをアピールした。一方,政府側の台湾総督府も仏教を利用した島民の馴致をもくろみ,台湾に進出した日本仏教の各宗派を支援した。

 南清視察を行った大谷瑩誠から石川への報告によると,大谷派は厦門において短期間で多くの「信徒」を集めたとされた。だが,彼らは実際には真宗の信者ではなく,厦門が早晩日本の植民地になることを予想して,戦略的に「信徒」となった人々であった。同報告のなかでは,しかし,真の真宗信徒を育成する策については何も記されていなかった。

 大谷派の南清布教は,その目的はともかく,迅速に拡大していき,それゆえ当地のキリスト教団との間に軋轢が生じた。1899年,漳州において,大谷派の布教使一行が中国人キリスト教信徒に襲撃され,一時的に監禁された。こうしたトラブルが頻出する中,しかし福建省・台湾島を統括した布教体制を築くために,大谷派はさらに布教を拡大していった。

 また,同時期には,臨済宗妙心寺派や本願寺派も南清布教を進めていた。特に妙心寺派は,台湾総督府から手厚い資金援助を得ていた。ここからも,日本仏教の各派の南清布教に対する,台湾総督府による支援の姿勢が見て取れる。

 今回の主要テーマである「厦門事件」の真相について,中西氏は先行研究の二つの説を紹介した。すなわち,政府が主導したとする「政府豹変説」と,政府が主導ではないが,その意思を察知した出先機関の行動に便乗したとする,「出先暴走説」である。中西氏は様々な史料を提示し,これら二説に対する疑問を呈した。そして,この事件は台湾総督府と大谷派が共謀して起こしたものあったとの見解を示した。

 この事件の影響として,南清地域における日本仏教の布教活動が,強制的な禁止ではないが,条文では禁止されるようになった。また,この事件に関しては,当時からも大谷派による放火説などが盛んであり,さらには大谷派の布教使やその信徒らの素行の悪さゆえに反感を買ったとする説もあり,大谷派の評判は落ちる一方であった。

 こうした状況に対し,大谷派は寛容の態度を示そうとして,事件に対する賠償を求めないと声明する稟請書を提出した。また,他宗派と共同で宣教方針を考え直すための宣伝冊子を,日本や中国だけでなく,朝鮮や欧米諸国にも送った。とはいえ,結局のところ,その後も実際には大差のない宣教方針のもと,東アジアでの活動が続けられた。

【議論の概要】

 赤松徹眞氏は,布教師たちは外交パスを所持していたのか否か,また台湾が日本に領有された際の,現地人の国籍問題について質問した。これに対し中西氏は,布教師は外交パスを所持していなかったが,しかし当時の中国政府は強制送還を行っていないこと,また,「日本国民」にされた現地人は,特に日中戦争の勃発の際,日中戦争継続するために「日本国民」として戦争協力をさせられた,と答えた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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