研究活動

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2015年度 グループ2ユニットB 第1回研究会

報告題目イスラーム思想と仏教思想の対話の可能性―四聖諦を手がかりにして―
開催日時2015年10月13日(火)10:45~12:15
場所龍谷大学大宮学舎清風館3階共同研究室1・2
報告者アボルガセム・ジャーファリー(コム宗教大学専任講師)
コメンテーター佐野東生(龍谷大学国際文化学部教授)
参加者25人

【報告のポイント】
 ジャーファリー氏は,イスラームと仏教の共通基盤は何であるのかについて,おもにブッダによる四聖諦の教えと,クルアーンの言葉やシーア派の思想との共通点を検討することから明らかにした。また,両宗教の本来的な性格を学ぶことで,現代世界に見られる宗教の過激主義的な活動を正していくべきことを指摘した。

【報告の概要】
 仏教とイスラームの共通基盤はどこにあるのか。この今回の研究会のテーマについて論じる前に,まず,ジャーファリー氏は,仏教の開祖であるブッダが,いかなる意味で宗教的天才であるのかについて説明した。仏教は,それに先行するヒンドゥー教の宗教的世界観のなかで生まれてきた。だが,ブッダは,従来のインドの宗教に見られた,多様な神々への信仰や儀礼を重んじず,またインド社会のカースト制度も認めず,ヒンドゥー教の権威を明確に否定した。代わりに,すべての人間の平等性と,涅槃に至る可能性とを説いた。ブッダが天才的な人物である理由は,この点にある。
 仏教とイスラームの共通点については,いろいろな議論がなされている。そうした共通点を学ぶ必要があるのは,現代の世界中で見られる,宗教の過激主義の誤解を正すためでもある。たとえば,ミャンマーでは仏教徒がイスラーム教徒を殺害し,シリアではイスラーム教徒が他宗教のみならず同じイスラーム教徒とも殺し合っている。しかし,ブッダにせよムハンマドにせよ,両宗教の開祖たちは,暴力には反対していた。研究者は,そうした事実を証明していくことで,信徒らによる過激主義的な活動を抑制していくべきである。
 イスラームも含めた西方の宗教では,しばしば神の啓示を説く預言者が現れる。他方,東洋の宗教には,一見すると預言者は見られない。だが,預言者を,世の中に警告を与える者として捉えれば,ブッダもまたその警告者の一人であり,イスラームでは神が人類のあらゆる民族・集団に預言者に匹敵する警告者を遣わしたとされる。すなわち,自らの涅槃の体験において理解した道徳的価値を弟子たちに対して説いたブッダは,神の啓示の言葉を伝えた預言者たちと同等の存在であった。一方,たとえばシーア派の初代イマーム(指導者)であったアリーは,イスラームにおける「ジハード」の教義を,他者に対する暴力としての聖戦ではなく,自己自身に打ち勝つための闘いとして解釈しており,こうした解釈は仏教の基本的な思想とも通じる部分が大きい。また,ブッダもアリーもともに,極端な方向に傾くことをよしとしない,「中道」の教えを説いた。
 仏教の四聖諦では,第一の真実として,すべての存在は苦であると説く。イスラームでも,たとえばクルアーンに「われらは,人を苦の中に創造したのだ」とある。あるいは,ブッダが悟った無常の教えについても,クルアーンに「現世の生活は回り道であり遊びごとに過ぎない」といった近しい一節がある。またアリーも,現世は楽園において永遠の住処を得るために良い行いをすべき,途中の道であると説明した。
 四聖諦の第二の真実である,苦の原因は利己的な欲望や愚痴にあるとする教えも,イスラームに対応するものがある。たとえば,クルアーンには「貪欲さを制御することのできるものは,最期の成功(楽園)を完成することができる」とある。またシーア派の第6代イマームであるイマーム・サーデクは,人間の心を,理性や知性の軍隊と,無知の軍隊として比ゆ的に捉え,イスラームの預言者や信仰者でなければ前者の軍隊を持つことはできないとした。
 欲望の消滅による苦の消滅を説く第三の真実も,クルアーンの「楽園は,自ら神を恐れ,自ら欲望を禁ずるもののためにある」の一節と呼応する。第四の真実である,欲望を消滅するための方法である八正道にしても,イスラームに対応するものがあり,特にそれは瞑想を通して実現される。神秘主義者たちが実践するイスラームの瞑想においては,トレーニングを積んだ知恵のある者が,長時間の瞑想の果てに,やがて神聖な光を見るようになる。その光は,阿弥陀仏の浄土の輝ける世界とも比較可能なものである。

【議論の概要】
 ジャーファリー氏からの報告を受け,聴講者との間で対話が行われた。聴講者からの問いかけとして,ミャンマーなどのテーラヴァーダ仏教においても,瞑想の中で光を見ることがあるというが,そこにもイスラームとの共通点が見出せるかとの質問があった。ジャーファリー氏はこれに対して,イスラームの神秘主義における宗教体験のコスモロジーの一種を解説することで応答した。
 それによると,この世界には,自然的な身体と精神的な身体に加え,それらを超えるより高い次元の世界があり,人間は瞑想を通してこの第三の次元に到達する際に,pure landからの光を受けとめることができる。こうした世界観は,現在の科学では証明不能な部分を含むが,しかしこの世には科学では説明できない世界も確かに存在することを意識していかなくてはならない,と氏は最期に指摘した。

※共催:龍谷大学仏教文化研究所

【文責】アジア仏教文化研究センター

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