研究活動

研究活動

2015年度 グループ2ユニットB 第1回国際シンポジウム

報告題目多文化共生社会における宗教間対話(Inter-faith Dialogue)
開催日時2015年12月14日(月)10:45~15:00
場所龍谷大学大宮学舎清和館3階ホール
参加者106人

■報告者・題目:

【午前の部】

「宗教多元論(Religious Pluralism)の理論の実践論的再検討」

大來尚順(公益財団法人 仏教伝道協会)

「アメリカ仏教における多文化共生と宗教間対話の実体験」

アレック・ラメイ(上智大学言語教育研究センター講師)

「宗教の場と多文化的共生を考える―東京の山越カトリック教会を事例として」

東馬場郁生(天理大学国際学部教授)

「宗教間対話と研究者の役割」

【午後の部】

ダンカン・ウィリアムズ(南カリフォルニア大学教授)

"Religious Diversity behind Barbed Wire: Japanese American Buddhism and Christianity in the WWII Incarceration Camps in the U.S."

(鉄条網の向こう側の宗教的多様性:第二次世界大戦中の強制収容所における日系アメリカ人の仏教とキリスト教)

■コメンテーター:

【午前の部】小原克博(同志社大学神学部教授),高田信良(龍谷大学文学部教授)

【午後の部】高田信良,守屋友江(阪南大学国際コミュニケーション学部教授)

■総合司会:那須英勝(龍谷大学文学部教授)

【報告のポイント】

 多文化共生社会と言われる現在,宗教間対話の必要性に対する認識が高まってきている。だが,日本における宗教間対話については,現状では諸宗教の出会いの場を提供する,という程度にとどまっており,多くの課題を抱えている。

 そこで本シンポジウムでは,まず午前の部で,宗教多元論の理論を研究すると同時に,対話の実践の場にも積極的に参加している登壇者らが,宗教間対話の現状と今後の可能性について,国際的な視野から討論した。また午後の部では,第二次世界大戦中のアメリカにおける日系人と仏教の歴史に関する基調講演に基づき,宗教多様性の意義が議論された。

【報告の概要】

 大來氏は,アメリカにおける仏教の現状について紹介した上で,日本仏教に求められる宗教間対話のあり方を論じた。アメリカ仏教の歴史は150年ほどであり,日本とは異なり「現代宗教」という認識がある。仏教徒は人口の約1.1%だが,「無宗教」の人々の中には仏教に影響を受けたという人が一定数存在する。アメリカ仏教は,移民のコミュニティによるアジア系,ビジネスマンなどが瞑想を中心に実践しているエリート系,そして差別など様々な社会問題に取り組む,生きる仏教(エンゲイジド・ブディズム)の系統がある。また,SGI(創価学会インターナショナル)も,ヨーロッパなどと異なり評判がよい。

 一方,日本にも多様な仏教があるが,それらは宗派ごとに分裂している。お互いに他宗派のことを何も知らない状況であり,偏見が生まれやすい。こうした現状においては,まずもってInter-faith(「他」宗教間)の対話よりも,Intra-faith(「同」宗教間)の対話が必要である。各宗派の当事者が,宗派間の内側において対話を重ね,そこからさらに世界の諸宗教との対話へと展開していくことが求められる。

 ラメイ氏は,東京の山越教会(仮名)での6年間にわたる参与観察に基づき,カトリックにおける多文化共生の現状について論じた。山越教会では,日本語と英語のミサが,それぞれ行われてきた。従来,日本語のミサには日本人が,英語のミサにはフィリピン人しか参加しておらず,同じ教会に属していても,両者が接する機会は少なかった。そこで同教会では,共有スペースを作ったりするなどして,両者の交流を促進してきた。

 こうした多文化共生の実践は,しかし現在,新たな課題に直面している。それは,第二世代への信仰継承の問題である。信徒の子供たちを,彼らが大人になるまで,どうしたら教会に持続的に関わらせていき,文化間の交流を維持していけるか。また,フィリピン人の子供たちを,日本社会に完全に同化させてしまうことなく,いかにして母国の文化を保護していけるか。そうした「新多文化共生」と概念化すべき課題に対して,山越教会では,ミサや教会教育の場での日本人とフィリピン人の子供たちの交流や協力を後押しすることで,次世代の教会のかたちを模索している。

 東馬場氏は,宗教間対話における研究者の役割について考察した。東馬場氏が所属する天理教では,主にカトリック教会と密に関係しつつ,宗教間対話を実践してきており,氏も継続的にそこに参加してきた。そうした経験に基づき,宗教間対話の目的や,その当事者は誰かという問い,あるいは,諸宗教を包括した神学(教学)の可能性や,対話に関与する研究者の役割について,氏は考えてきた。

 特に研究者の役割については,諸宗教間での同意と非同意の領域を見極めるための議論を構築していく上で,宗教研究者が貢献できる場面が多い。とりわけ,「信仰をもつ研究者(scholar as believer)」の存在意義が大きい。特定の宗教を信奉しつつ,だがそれ以外の他宗教について研究している研究者は,異なる宗教に対する客観的な情報提供や分析を比較的行いやすいのである。そのため彼らは,宗教間対話の参加者としても,仲介者としても活躍でき,自らの専門性を活かしながら,有益な対話づくりの役に立つことができる。

 ウィリアムズ氏は,第二次世界大戦の戦時下における信仰の役割について,アメリカにおける日系人,とりわけ仏教徒を事例として論じた。

 1941年12月の真珠湾攻撃,これを契機とした日米開戦を受け,アメリカ国内の日系人は政府による警戒や迫害の対象となった。FBI(連邦捜査局)では,日系人の危険度を三段階で評価する「ABCリスト」を作成したが,僧侶や神職者は最も危険なレベルAと位置づけられ,その大多数が逮捕された。一方,キリスト教の牧師などの場合は,ほとんど逮捕されることはなかった。キリスト教を精神的な基盤とするアメリカにおいて,仏教と神道は,単に非アメリカ的であるだけでなく,反アメリカ的ですらあると理解されたのである。

 ウィリアムズ氏がかつて仏教を学んだ元ハーバード大学教授,永富正俊氏の妻によれば,彼女が12歳のとき,父親がFBIによる尋問の対象になったという。彼女の両親は和歌山からカリフォルニア州のマデラに移民したが,父親は当時,同地の仏教界の理事長を務めており,そのため僧侶に準じるかたちで,レベルBの危険度と認定されたのである。彼は結局のところ,逮捕されることはなかったが,しかし帰宅後,FBIが問題視しそうな日本語の文章などを,すべて焼却した。彼が燃やさなかったのは,真宗聖典と,マデラの寺院での活動記録だけであった。その記録も家の庭に埋められたが,その後,発見されていない。日系アメリカ人の仏教史の一端が,今もカリフォルニアの土地に埋まっているというわけである。

 一方,1942年になると,宗教者のみならず,また老若男女を問わず,多くの日系人が強制収容所に入れられていった。その総数は12万人以上に及んだ。彼らの宗教は多様であったが,その大半が仏教徒であった。彼らの信仰については,日記資料や当時の写真などから,その実態を明らかにすることができる。彼らは収容所の鉄条網の裏側で,仏教式の人生儀礼を営み,御詠歌を歌い,盆踊りを踊った。果実の種を用いて念珠を作り,廃材などを使って仏壇を製作した。収容所の異常な状況下で,彼らは日常性を保つことを試みたが,そこでは仏教に対する信仰が大きな役割を果たしていたのである。なかには,監視によるサーチライトの光を,月の光に見立てながら,瞑想を行う僧侶もいた。

 また,日系二世のリチャード・サカキダの話も,示唆的である。彼は,1930年代に京都に来日し,日本語を学び,僧侶になるために仏教を学んだ。日米開戦後,アメリカ軍の情報官としてフィリピンに派遣されたが,そこで日本軍に捕まり,拷問を受けた。彼は,しかし,情報をまったく漏らさなかった。その理由として彼は,西本願寺の語学学校の教師たちが,彼に誇りや強さを教えてくれたこと,そしてアメリカ人としての精神が,拷問に耐えることを可能にしてくれたと述べている。彼において,仏教者であることと,アメリカ人であることとが,矛盾なく受け入れられていたのである。戦後,彼は自分を拷問した憲兵たちと再会することになるが,仏教の慈悲の心によりながら彼らを許し,以後もそのうちの一人と交流を続けることとなった。

 以上のように,キリスト教国であるアメリカの,戦時下にあって,日本の仏教の伝統が,日系人たちの生き方の指針を示すことがあったのである。

【議論の概要】

 午前中の三報告に対し,小原氏は,各報告者への質問に加え,全体へのコメントとして,宗教間対話における日本仏教のマナーのあり方と,「多文化共生社会」というテーマ設定の有効性などについて意見を述べた。前者については,諸宗教による国際的な会議などの場で,日本の僧侶が肉食と飲酒を当然のごとく行っており,これが他のアジア諸国の僧侶からは異様に見え,対話以前の問題が生じていることを指摘した。後者については,欧米の社会では既に「多文化共生」は失敗したという認識が共有されており,この概念自体が現在では批判的にしか使用することができないと述べた。

 高田氏は,カトリック教会が抱えている信仰継承の問題は,日本の地方寺院においても同じく問われていることであり,また宗派間のみならず宗派内部での分裂状況が存在していることも含め,現在の日本仏教は数多くの課題を抱えていることが,今回の議論で明確になったことを指摘した。

 聴講者からは,イスラム国のような暴力的な宗教勢力との対話は可能か,との問いかけがなされた。これに対して,小原氏は,どのような宗教集団も多様な層によって構成されており,そのうちの穏当なメンバーを介して対話のためのチャンネルを確保するための努力を続けることが必要なのであり,暴力を別の暴力で制圧するだけで問題が解決するとは思えない,と応答した。

 ウィリアムズ氏の基調講演に対して,高田氏は,収容所では仏教徒以外の日系人,特にキリスト教徒はどう扱われていたのかを問うた。また,守屋氏は,戦時中のアメリカで日系人が被った迫害の経験は,現代においてどのような意味を持っているのかを尋ねた。

 これらの問いに対してウィリアムズ氏は,キリスト教徒も収容所に入れられたが,その期間は仏教徒に比べて短く,収容所内でも優遇されていたこと,また,反イスラム的な風潮が強まりつつある現代アメリカ社会において,いまだに人種や宗教をめぐる問題はまったく終わっておらず,そのため,戦時下において信仰がどのように守られたのか,その歴史を学ぶことには,少なからぬ意義がある,と答えた。

 聴講者からは,収容所に入れられていた人々は,その後,自己の経験をどのように語り継いできたのかについて,質問があった。これに対してウィリアムズ氏は,多くの人々は厳しい時代のことを語ることは避け,過去を忘れて前向きに生きようとしてきたが,他方で,かつて自分の子供たちには言えなかったことを,年の離れた孫世代に対して語ることには積極的な人も出てきており,そうした記憶をいまこそ掘り起こしていくことが重要である,と述べた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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