研究活動

研究活動

2015年度 グループ1ユニットB 第2回研究会

報告題目仏教雑誌にみる大正期の台湾布教
課題としての戦時下の日本仏教と南方地域
開催日時2016年2月5日(金)13:00~16:00
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者中西直樹(龍谷大学文学部教授)
大澤広嗣(文化庁文化部 宗務課専門職)
参加者20人

【報告のポイント】

 大正期から昭和の戦時期において,日本仏教はどのようにアジアへと進出していったのか。今回は,大正期の台湾布教と,戦時下の南方(東南アジア)地域における仏教者の活動にそれぞれ焦点を当て,検討がなされた。

【報告の概要】

 中西氏は,大正期における日本仏教各宗派による台湾布教の実態について,仏教雑誌を中心とした多様な資料に基づき明らかにした。1915年,台湾では西来庵事件を契機として,日本への抵抗運動が活性化した。台湾総督府は,現地の仏教勢力を懐柔することにより抵抗の動きを抑制するためにも,従来の方針を改めるかたちで,現地人に対する日本仏教の布教を奨励し始めた。

 総督府がそこで特に期待したのが,禅宗であった。台湾では臨済宗に帰依する者が多かったため,そこから取り入るのが有望に思われたのである。実際に,臨済宗妙心寺派が現地人の僧侶教育機関「鎮南学寮(後,鎮南学林)」を設置し(1916年10月),曹洞宗も同様の教育機関「台湾仏教中学林」を開校(1917年4月)するなどした。だが,両宗派が互いに警戒・牽制し続けたこともあり,どちらも現地の僧侶養成にはおおむね失敗した。

 一方,台湾総督府社寺課の初代課長に就任した丸井圭治郎は,路線を変更し,現地仏教界の組織化を推進した。日本仏教の関係者を排除した「南瀛仏教会」の設立(1921年4月)を導き,台湾仏教の日本化を抑制したかたちの懐柔策を新たに展開した。これに対し,日本の宗派は同会への参入を試みたが,独自の活動を望む台湾人僧侶らの意向もあり,参入は困難であった。

 また,大正後期には,本願寺派も台湾への進出を模索し始めた。台湾人に日本仏教を広めるという意図から,日本の本願寺派関係の学校に台湾人を留学させるなどした。だが,日本仏教に基づく教育を施した台湾人僧侶を養成しても,教えが現地人に理解されず,僧侶たちの生計も成り立たなかったため,こうした試みは昭和期には挫折した。かわって,皇民化教育の推進のほうが重要であるという見解が,日本の仏教界では次第に有力になっていった。

 大澤氏は,自著『戦時下の日本仏教と南方地域』(法藏館,2015年)の概要を報告し,同著が取り組んだ課題を論じた。同著の問題意識は,「南方進行における日本仏教の応用」であり,日本の東南アジア進攻に仏教界がいかに動員されたかについて,布教活動ではなく,謀略活動や文化工作,現地調査などを中心に検証している。また,宗派史観からはこぼれ落ちる事例を主に検討している点も,従来の研究にはあまりなかった同著の特徴である。

 同著第1部では,日本本土における南方対策の動きが考察された。具体的には,仏教界の連合組織である財団法人大日本仏教会,学術団体である国際仏教協会,南方地域に派遣される仏教宣撫要員の養成を行った,財団法人仏教圏協会による諸事業が論じられた。そこでは,仏教界が,文部省等の官僚や軍部などと協力しながら,国策に呼応する動きが見られた。

 第2部では,僧籍を有する学者たちの動向が解明された。興亜仏教協会の命令によりインドシナ調査に従事した宇津木二秀(龍谷大学教授,本願寺派),ビルマ侵攻の過程で同地の宣撫工作に関与した上田天瑞(高野山大学教授,古義真言宗),軍政機構下でシンガポールの宗教状況の調査を行った渡辺楳雄(元駒澤大学教授,曹洞宗)などの活動について,詳細に跡づけられた。

 第3部では,その他の関係諸団体による文化工作について検討された。シンガポールでの,真言宗を中心とした官民一体の真如親王奉讃会による運動,ジャワ島のボロブドゥール遺跡をめぐる日本軍の軍政当局と仏教界の対応,財団法人日泰文化会館による,日本文化をバンコクで紹介するための会館の建設計画(五重塔の設置も構想)など,いずれも興味深い事例が紹介された。

 最後に同著の結論として,日本仏教の南方進出の,東アジアの植民地における事例との相違や,国家と仏教宗派を結ぶ三つの法規(「管長身分取扱方ノ件」「民法」「宗教団体法」)の意義などが考察された。

【議論の概要】

 中西氏の報告に対し,現地人への日本仏教の定着はどれだけなされたのか,南瀛仏教会の機関誌における使用言語は何であったか,などの質問がなされた。これらに対し中西氏は,日本仏教の現地への定着はほぼ失敗に終わったと考えられること,当該の機関誌では当初は中国語だけが用いられていたが,昭和初期には両語併記となり,日本語の比率が増加しており,これには台湾人僧侶の識字率の高まりが関連している可能性がある,との回答がなされた。

 大澤氏の報告に対し,現地で活動した僧侶の中に現地人との交流を重んじた人はいたのか,という質問があり,これに対して大澤氏は,自著の対象となっている時期に限って言えば,日本の仏教者は現地人を対等な相手とは見ていなかった,と回答した。また大澤氏の研究について,非常に重要ではあるが,一方でそこに欠けている,日本仏教の進出に対する現地の反応や,その痕跡の探究も,今後は重要な研究課題になってくる,との指摘もなされた。

※共催:龍谷大学仏教文化研究所

【文責】アジア仏教文化研究センター

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