研究活動

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2016年度 グループ2ユニットB 第1回ワークショップ

報告題目仏教の女性観を考える―ジェンダーの視点から―
開催日時2016年6月21日(火)13:15~16:15
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者岡田真水(真美子)(兵庫県立大学名誉教授)
飯島惠道(曹洞宗薬王山東昌寺,花園大学非常勤講師)
コメンテーター桂 紹隆(龍谷大学世界仏教文化研究センター研究フェロー)
佐藤智水(龍谷大学世界仏教文化研究センター研究フェロー)
参加者78人

■共催:龍谷大学仏教文化研究所

■報告者・題目:

岡田真水(真美子)(兵庫県立大学名誉教授)

「女性の成仏について――改転の成仏と即身成仏をめぐって」

飯島惠道(曹洞宗薬王山東昌寺,花園大学非常勤講師)

「ジェンダー不平等な現状に関する報告」

【報告のポイント】

 仏教における女性観やジェンダーの問題について多角的に検討するため,仏教学の立場からの経典に見られる女性観の考察と,現代に生きる尼僧の立場からの日本仏教における性差別に関する報告に基づき,議論が行われた。

【報告の概要】

 岡田真水(真美子)氏は,経典における女性の成仏をめぐる記述を分析することから,仏教の女性観を考察した。仏教の原点である釈尊の教えから考えた場合,覚りに男女の区別は存在しない。だが,歴史的には区別があるほうが普通であり,その意味を考察することは,現代においてもなお重要である。

 たとえば,仏教の各宗派は,それぞれ微妙に異なる浄土観を伝えてきている。そのなかで,阿閦仏のいる妙喜世界は,女性がいる浄土であり,そこには妊娠・出産をする女性の姿も描かれている。一方,阿弥陀仏のいる極楽浄土は,女人のいない,男性だけの浄土である。そこでは,女性が現世で女身を尽くした後,二度と再び,女性に生まれ変わることがないことが,浄土の理想の一つとして説かれているのである。

 仏教は,女性が女性の身のままで成仏できる教えなのか,そうではないのか。岡田氏は,大蔵経を網羅的に調査し,女人成仏関連の文献を集めた。集まった52編のうち,14編が竺法護訳のものであった。このうち,「天女成男」や「変成男子」ではなく,女性の女身のままでの成仏を説いている教典は,法華経のみであった。それ以外は,女性が男性に転じた上での成仏を説くものであった。

 それでは,法華経ではどのようにして,女性の成仏が説かれているのか。龍女の成仏というかたちで説かれている。それは,伝統的な説法様式である,九分教のウパデーシャ(論議)の形式にのっとっている。釈尊の説く法がわからないという智積が,法をめぐって文殊と論議する。そして法の正しさの証拠として,文殊が龍女に法華経の教えを説き,彼女を即身成仏させてみせる。その後,龍女の即身成仏を疑う舎利弗があらわれ,女には五つの障りがあるとし,仏にはなることはできない,と反論する。この不信に対応するため,龍女は宝珠を提示し,さらには男子に成り変わって,成仏の疑いのなさを示す。

 この龍女成仏の展開から明らかなように,龍女は法華経の教えを聞いた時点で,法を十分に理解し,即身成仏している。彼女が変成男子したのは,それをなお疑う舎利弗らに対して行われた,次の段階の対応である。なお,そこでの舎利弗の発言を取り上げて,法華経は女性の「五障」を説く経典とする見解があるが,上に見た龍女成仏の展開からして,これは完全な誤解であると言える。

 最後に氏は,法華経を例外として,多くの経典に説かれている,女性の身体を嫌悪し,これを捨てることを勧める教理を,今後どうしていくべきか,と問いかけた。真実を述べると考えられている経典も,それがテクスト化された時代・社会の考え方を反映する。それを現代のわれわれは,どう考えていったらよいか,という問題提起である。

 飯島氏は,2014年度に当センターで行った報告の内容を振り返りながら,自身をとりまく日本仏教界の現状が,それからどのように変化し,また自身の認識がどう深まってきているかについて述べた。

 2014年度の報告のとおり,尼僧として長野の一寺院(曹洞宗)の住職を務める氏は,ジェンダー不平等な現場を生きている。そこは,女性僧侶に対する男性僧侶の優位を説く「八敬法」の発想が,そのまま踏襲されたような現場である。各種の法要や地域の仏教界の役職においても,女性僧侶は年齢や出家者としてのキャリアを問わず,ほとんど常に男性僧侶よりも低い立場にある。

 こうした状況は,現在もなお変化がない。一方で,日本の仏教界では尼僧の数自体が次第に減ってきており,自然消滅を待つだけでよいのか,という疑いも生じてきた。こうした現状で,当事者としては何とか頑張っていくしかないが,頑張れば尼僧としての自らの人生を心から肯定できる世の中になるのか,不透明なところもある。

 氏が自分の属する教区の住職や寺族や総代に対して,個人的なアンケート調査を行ったところ,次のような現実が見えてきた。彼・彼女たちの多くが,身近にあるジェンダー不平等の問題については,気づいてはいるが,かといってそれを強く肯定も否定もしていない。曹洞宗では,尼僧らしい尼僧のイメージが期待されており,「女性らしく」したり,結婚したりする尼僧は,あまり求められていない。「尼僧は(男性僧侶の)一歩後ろに」という考え方は,むしろ尼僧自身がつくっているような面もあり,尼僧の間にも分断がある。

 最後に氏は,今回の調査によって,尼僧のなかのコンセンサスを得ることが最も困難であることに気づいた点が,最も大きかったという指摘をして,報告をしめくくった。

【議論の概要】

 岡田氏の報告に対して,桂氏は,インドでの経典の形成過程を考えると,そのほぼすべては男性の出家者による作成であると思われ,そこに男性中心の教団における,女性への偏見あるいは恐怖感というものが反映されている可能性は否定できないとコメントした。また,日本では経典の記述を金科玉条とする傾向があるが,経典の作成・編集過程の推移に見て取れる内容の変化を考慮すれば,経典の記述を鵜呑みにする態度は捨てていくべきだと指摘した。

 飯島氏の報告に対して,佐藤氏は,曹洞宗という宗派に属している男性僧侶が,同じ教団のなかで同じ仏道を歩む女性の悩み苦しみがわからないのは,八敬法のような教えが伝わっているからであり,たとえば尼僧の活躍の著しい台湾では,八敬法を捨てることが宣言されている,と述べた。また,ジェンダーは女性差別だけを問題視する視点ではなく,それを契機として他者の苦しみを見抜く方法であり,自らの職場や家庭での人間関係を反省する際にも活かすべきである,と論じた。

 さらにフロアとの質疑応答も踏まえた上で,最後に岡田氏は,各宗派が伝える女性差別的な教義をどう扱っていくべきか,と改めて問いかけた。氏が属する日蓮宗では,龍女の理想から考えていけばよいが,浄土真宗などではどう考えるかが問われた。また飯島氏は,現在,宗派を超えた尼僧のコミュニティは存在しているが,そこでは有髪の女性は歓迎されておらず,有髪・剃髪を問わず参加できるコミュニティの形成が,今後は必要であると提言した。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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