研究活動

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2016年度 グループ1ユニットA 第6回学術講演会

報告題目歴史教育の場における『混一彊理歴代国都之図』の役割
開催日時2016年7月29日(金)17:00~18:30
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者中村和之(函館工業高等専門学校教授)
ファシリテーター渡邊 久(龍谷大学文学部教授)
コメンテーター村岡 倫(龍谷大学文学部教授
参加者25人

【報告のポイント】

 歴史教育に携わる教師の視点だけではなく、歴史研究者としての視点も交えながら、『混一彊理歴代国都之図』(以下、『混一図』)が有する可能性についてご講演いただいた。

【報告の概要】

 現在、文部科学省は高校の地理歴史科について、現行指導要領で定められる世界史の必修を見直した上で、近現代史分野を中心に日本史と世界史を融合させた「歴史総合」を新たに必修科目として設けることを示している。これは高校と大学が連携する歴史教育研究会からの提言に基づくものであり、歴史の始まりについては産業革命頃か、古くて大航海時代からのようである。

 しかし、このような歴史観では従来のヨーロッパ中心史観に絡めとられるだけと危惧され、日本発の世界史教育の枠組として、「モンゴル帝国から始まる世界史」という歴史観に注目するのである。杉山正明氏は『モンゴル帝国と長いその後』(講談社、2008年) において、かつて本田實信氏が『モンゴル時代史研究』(東京大学出版会、1991年)で述べた主張を紹介している。すなわち、本田は、「西洋人たちのいう「地理上の発見」もしくは「大発見の時代」(日本でのいいかえは「大航海時代」)という考え方を十分に意識したうえで、それに先立つこと二世紀ほどまえに、まずはいったん人類史上の重大なステップがモンゴル時代にあったと主張する。日本が発信した最初の世界史概念である」と述べる。また、岡田英弘氏の『世界史の誕生』(筑摩書房、1992年)や『チンギス・ハーン』(朝日新聞社、1994年)においても、モンゴルから世界史が始まったとする強い主張が見られる。これらの流れを継承する杉山氏の論説は、70年代以降の日本のモンゴル研究史の総論であり、「モンゴル帝国から始まる世界史」という歴史観を強く世に知らしめるものである。

 そこで、モンゴル帝国時代に作られた地図を基にした『混一図』の歴史教育の教材としての可能性に期待が高まる。その一例としてはアムール川を遡ったところの「五国城」という地名である。他の史料には「別十八」と記され、これはトルコ語で「ビシュバリク」のことであり、五つの城という意味である。有名な中央アジアの「ビシュバリク」の他に、こちらにも異なる「ビシュバリク」があったということである。アムール川周辺の諸史料によれば、トルコ系の突厥帝国の時代からここに「ビシュバリク」という地名があったが、遼や金の時代の人々はモンゴルやツングース系の言葉を使っていたため、それが何を意味しているかは不明な状態が続いていた。ところが、モンゴル時代になると、トルコ系のウイグル人の政治家によって「ビシュバリク」の意味が明らかとなり、以後、五つの城のこととする記述が残されていった。諸史料に基づき、突厥以来の草原勢力の進出が地名に残っていると自然に推察でき、この「五国城」のようにモンゴル時代のユーラシア史の痕跡を示す事例をもって、アフロユーラシアで世界史が始まったという説は有力となり得るのであり、日本発の世界史教育の枠組の成立を果たす上で、『混一図』は重要な役割を担うと考えることができる。

 これまでの世界史の教科書において『混一図』が数回掲載されているが、どれもモンゴル時代の領土の広さを伝えるだけのものであった。『混一図』の研究のさらなる進展が望まれており、その成果を歴史教育に携わる教員のなかでも、東洋史やモンゴル史を専門としていない教員でも、理解できるかたちにして発信していく必要性がある。

【議論の概要】

 モンゴル史に関連するところでは、ソグド人と突厥との関係性や、「五国城」の交易基地としての位置づけ等について意見が交わされた。また、『混一図』については、ヨーロッパも描かれていることから、モンゴル帝国の地図と限定せず、当時の世界地図として扱うことや、日中の領有権問題における歴史的資料としての位置づけ等、新たな視点が提言された。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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