研究活動

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2016年度 グループ2ユニットA 第1回学術講演会

報告題目現代仏教の可能性-響き合いに生きる-
開催日時2016年9月27日(火)13:15~14:45
場所龍谷大学深草学舎22号館202教室
報告者丘山 新(浄土真宗本願寺派総合研究所所長)
ファシリテーター野呂 靖(龍谷大学文学部講師)
参加者102人

【報告のポイント】

 仏教を学ぶ入門者に向けたこの度の講演会においては、初期仏教や大乗仏教における「他者との関わり合い」を出発点とし、自己との間に生じる様々な喜びや苦しみや悲しみをもって、この「関わり合い」の意義を改めて指摘し、浄土真宗の教義も交えながら現代仏教の大いなる可能性を示唆した。

【報告の概要】

 仏教は苦しみから脱け出すことを目的としており、それを解脱とか涅槃と呼ぶ。この苦しみとは具体的に「四苦八苦」のことで、「生・老・病・死」の「四苦」と、「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五蘊盛苦」の4つをもって「八苦」とする。これら「生・老・病・死」という個人的な苦しみと、「愛別離苦」や「怨憎会苦」等の人間関係の苦しみを、2500年ぐらい前の人が既に気がついていたことは驚愕である。

 このように人間関係によって様々な感情や苦しみが生まれるのなら、根本となる人間関係を断ち切り、戒律を守って禅定を深めて智慧を開発し、解脱とか涅槃という苦しみのない境地を釈尊自身は求めたのであり、また、その教えを伝え広めたのである。

 釈尊滅後に出て来た大乗仏教とは慈悲を大事にし、自分自身の救いだけではなく、他者の救いも考えるものである。釈尊が説いたように人間関係が苦悩の一因であることは事実であるが、苦しく、悲しい人間関係から学ぶこともたくさんある。大乗仏教とは人間が仏道を歩むうえでは、この人間関係も大事であるということに気づいた教えであり、これはただ世間レベルの人間関係ということではなく、もう一歩深く考えて仏を目指す菩薩として、どのように他者を考えるかということである。人生は苦しく、悲しいことばかりではあるが、これらを乗り越えていく為の教えとしても考えることができる。

 仏教の基本的な考え方である諸行無常や縁起ということを通して物事をうかがえば、無始以来あらゆる存在は一瞬も止まることなく生成と消滅を繰り返し、関わり合い続けている。つまり、時間的には一瞬毎に全ては変わりながら、それでいてなおかつ、その瞬間毎に空間的には全てが関わり合っていることとなる。仏教が示す物事の根本的な在り方であり、1つの例外もあり得ない。しかし、人間という生き物はこの世界のほんの一部分に過ぎないにもかかわらず、常に「私」という固定的な物事の見方、考え方に執われてしまっている。

 浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、往生浄土の教えだけを説き伝えたのではない。その残された言葉によれば、大乗仏教の思想に根ざし、他者との共生についても深く思慮していたと読み解くことができる。今日の西本願寺の宗制には「あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え」とあり、自身においては規範とし、他者に対しても勧めるべき生き方が示してある。また、「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」ともあり、これは人類共通の目標とすべき言葉である。この「自他共に」とはあらゆる他者を意味し、さらには将来の世代も含め、共に生きていくことを示している。このような在り方こそ、この度の講題にある「響き合いに生きる」という姿であり、現代仏教が有する大いなる可能性を、親鸞聖人の教えを通して感じるところである。

【議論の概要】

 簡単に人との関係を遮断したり、親子であっても円満な関係ばかりではない今日の状況において、改めて他者との関わり合いの良さや素晴らしさに気づくための方法としては、受動態にしても能動態にしてもこれまでの様々な体験を心に深く刻みつつ、常に自我に執われ、排他的な物事の見方、考え方しかできない自己の存在に気づき、認めることが大事である。またそこには、人間を超えた何かに生かされている、包まれているという体験が不可欠であり、浄土真宗においては阿弥陀仏の光に照らされ、閉じられた自己が明らかとなり、あらゆる物事の素晴らしさに目覚めていくこととなると締め括った。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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