研究活動

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2016年度 グループ1ユニットA 第1回セミナー

報告題目薬師寺の法会―花会式と慈恩会を中心として―
開催日時2016年10月13日(木)13:15~14:45
場所龍谷大学大宮学舎北黌203教室
報告者加藤大覚(法相宗大本山薬師寺録事)
参加者16人

【報告のポイント】

 今日に伝わる薬師寺の法会のなか、修二会花会式と慈恩会の説明を通し、難行・苦行を修めることの意義について報告がなされた。

【報告の概要】

 薬師寺は1年を通して多数の法要があり、江戸時代の頃が特に多かったようである。今日の代表的なものとしては、1月の修正会吉祥悔過法要、3月の修二会花会式、10月の天武忌、11月の慈恩会の4つであり、これらのなかでも、3月の修二会花会式と11月の慈恩会が大規模な法要として知られている。

 修二会は奈良時代に始まり、旧暦の2月末に行われていたことから、そのまま新暦に直して今日では3月末に行われている。この法要のなかで勤まる薬師悔過は、聖武天皇が天平16(744)年に各所において勤めさせたものに基づくという記録が残っている。連行衆の僧侶たちは7日間の参籠を行うなか、薬師如来の前に全ての罪過を悔い改め、国家繁栄、万民豊楽、天下泰平、五穀豊穣、仏法興隆等を祈願し、最終日の夜には法会の結願を飾る「鬼追式」が行われる。

 また、この「花会式」という名称は、嘉承2(1107)年に堀河天皇が皇后の病気の平癒を本尊の薬師如来に祈願し、無事に快復された皇后がお礼として、宮中で造られた10種類の花をお供えされたことに由来する。今日では梅、桃、桜、山吹、椿、牡丹、藤、百合、杜若、菊の10種の花が飾られ、奈良に春を告げる行事として親しまれている。

 慈恩会は法相宗の開祖である慈恩大師窺基の命日(11月13日)に勤める法要であり、天暦5(951)年に当時の興福寺の別当であった空晴の発願で始められたと伝えられ、現在の法会は明治29(1896)年に再興され、法相宗大本山の興福寺と薬師寺が持ち回りで勤められている。奈良仏教には先ほどの修二会花会式のように自らの罪過を悔い改め、国家繁栄等を祈願する悔過法要と、経典や論書の教説に基づいた問題に対し、問答を重ねながらその真意を明らかにする論義を中心として進める法要があり、慈恩会はその論義法要の代表的な1つとされている。

 この慈恩会においては、法相宗の僧侶として一人前に認められるための口答試験である「竪義」が、受験者があれば行われている。竪義に臨むにあたって前加行を勤め、論義の論題を勉強していく。鎌倉時代頃に竪義の形式化が進み、室町時代頃には現代に伝わるかたちに整理されていった。これまでの歴史のなかで積み重ねられた教義の伝統が、脈々と継承される営みである。

 これら2つの法会における厳しい修行を通して見えてきたことは、人間誰もが求める「自由」という在り方についてであると、加藤氏は語る。「自らに由る」と書き、これは「自分次第」と解することができる。自分次第となると、余程その自分がしっかりとしていない限り、あらゆる物事が困難である。このことからすると、自分にある程度の縛りや制限といった幅が必要であり、箍がはまっていることの重要性にいよいよ気づかされることとなる。仏教の目標はさとりを開くことであり、一足飛びにその境地に到達することは難しく、1つ1つの修行の完成を通して近づいていくこの過程にこそ、大きな意味があると考えることができる。徐々に自身を高めていくためには、常に最大限の努力が求められ、そこにある程度の縛りや制限といった幅が、未熟な者にとっては特に必要となってくるのであり、難行・苦行を修めていく意義が明らかになってくると締め括った。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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