研究活動

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2016年度 グループ1ユニットA 第8回学術講演会

報告題目中国仏教に宗派は本当に存在したのか
開催日時2016年11月1日(火)15:00~16:30
場所龍谷大学大宮学舎清和館3楷ホール
報告者張 文良(中国人民大学教授)
コメンテーター長谷川岳史(龍谷大学経営学部教授)
参加者33人

【報告のポイント】

 張氏は華厳思想を専門とする一方で、日中間の仏教研究の交流史についても造詣が深く、2016年9月に開催された日本印度学仏教学会の第67回学術大会においては、「唐代仏教において宗派は本当に存在したのか」と題してパネル発表(全体テーマ:唐・宋代の仏教の諸相)に参加した。この度の講演は時間・内容ともにさらに充実した発表となり、日本仏教における「宗派」という位置づけや、今後の日中間の仏教研究の交流における「宗」、「宗派」という言葉の共通認識について、改めて考える機会となった。

【報告の概要】

 仏教における「宗」という言葉は、すでに南北朝仏教において多く用いられている。隋唐時代には仏教における宗派意識の目覚めに伴ってさらに豊富な内容が備わり、宋代になると初めて近代仏教で用いられる「宗派」という概念と類似する「宗」という言葉が用いられるようになった。「宗」という概念は時代によってその意味合いが変化しており、また、仏教各宗派によってもその内容は相違している。その意味では中国の古代仏教における「宗」という概念は、決して一義的に捉えることはできない。

 近代以来、中国仏教は主に日本仏教の影響のもとで復興を遂げつつある。法相宗を中心とする教理の研究も盛んとなり、新しい学術の規範や研究方法に基づきながら、仏教史を構築することが研究者の共通の目標であった。そうした近代の学問的傾向を受け、「宗派」という概念も日本より伝えられ、中国の仏教学者に採用されていった。

 「宗派」という新しい枠組により、中国の古代仏教のなかで特に隋唐仏教を把握しようとする動きは時代の風潮となった。しかし、中国人研究者が「宗派」という言葉を共有したとしても、その概念に対する理解は多種多様であり、同一の見解に集約することはできず、さらには当時の研究者たちは「宗派」という外来の概念を、ほぼ無批判に受け入れており、中国仏教の文脈に沿ってその適応性を検討するというような余裕はなかった。

 1990年代、中国文化の復興がなされるようになると、古代文化に対する反省と再評価が行われ、中国文化の特質とは何かという問題意識に基づいた検討から導かれた結論は、「哲学」や「宗教」などの分野の中国文化の核心を構成する概念に関し、その内容を再考しなければならないという共通認識であった。つまり、近代以来、そうした欧米や日本から輸入された概念を用いて中国文化を考察したことにより、本来の「哲学」や「宗教」は無意識のうちに西洋風・東洋風のものへと変貌させられたのである。このように外来の概念を無批判に用いたために、偽りの「哲学」や「宗教」を構築してしまったのである。

 現代の知識人の使命はこの偽物を打破し、本当の中国文化を復元することにある。仏教学の分野でも同様の問題意識を共有し、「宗派」という概念が中国仏教史のなかでも特に隋唐仏教史を把握するうえで、相応しいかどうかという点について大いに議論されている。隋唐仏教における複数の「宗派」の存在について、近代の学者たちの見方は様々であったが、その存在自体は否定しておらず、いずれもその概念に基づいて隋唐仏教を把握していたようである。しかし、1990年代以降、隋唐仏教に本当に宗派が存在していたかどうかについてしばしば議論され、現段階では共通の結論に達していない。今後も活発な議論を通し、中国仏教ないし東アジア仏教の共通性と特異性について、より明確な認識がなされることが期待されている。

【議論の概要】

 例えば「華厳宗の法蔵」という言い方ではなく、「法蔵の華厳思想」という言い方であれば成立するように、中国仏教においては人物の名前を前に立ててその思想を続けて示すが、日本仏教は宗名を前に立てて人物の名前を続けている。この日本的感覚を中国仏教の研究に持ち込むことは不適切である。また、「法師」、「律師」、「禅師」という敬称に注視すべきであり、「善導」は中国においてはほぼ例外なく「禅師」という敬称で呼ばれているが、日本においては「大師」という敬称が定着している。中国で「禅師」と呼ばれる所以について、日本における考察は皆無であり、既に根付いてしまった敬称を改めることは困難ではあるが、今後の意識改革が訴えられた。

 そして、この中国仏教における「宗派」問題は中国だけに留まることはなく、日本においては法相宗、華厳宗、成実宗等の奈良仏教と、その後の天台宗と真言宗を並列的に扱ってきた傾向や、さらにはインドにおける部派仏教の成立問題等について見直す必要性を示唆するものであり、様々な波及効果があるものと両研究者の認識を改める機会となった。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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