研究活動

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2016年度 グループ1ユニットB 第5回研究会

報告題目『THE BIJOU OF ASIA(亜細亜之宝珠)』研究会(第5回)
開催日時2016年11月7日(月)17:00~19:00
場所龍谷大学大宮学舎西黌小会議室
参加者7人

【議論の概要】

 今回は中西直樹,吉永進一『仏教国際ネットワークの源流―海外宣教会(1888~1893年)の光と影』(三人社,2015年)の第三章「明治期九州真宗の一断面―通仏教的結束から世界的運動へ」(中西直樹著)の概要が内手弘太氏によって紹介され,それに基づき議論が行われた。

 主に問われたのは,九州で起こった本願寺派関係者を中心としたローカルな運動と,海外宣教会の動向とも呼応する同地でのグローバルな動きが,明治10年前後から明治20年代まで,相互にどのように関係しつつ,展開したのかについてであった。

 熊本という地域では,教団内で異端視された三業派が,既存の教義や教団の意向から自由に独自の活動をしやすかった,というのが中西直樹氏の説である。だが,三業派の異端性に関しては,それほど強いものではなかったとの指摘もあり,この点は再検討の必要がある。また,九州には漢学塾などの私塾が数多く存在しており,それらの私塾を基盤としたネットワークが,自由な運動や議論を導いたのではないか,との意見もあった。さらに,熊本バンドを主体とするキリスト教への対抗意識が,九州では醸成されやすかったという地域的条件があり,この点も同地で宗派を超えて結束するタイプの仏教運動が起こった原因として重要であることが確認された。

 一方,九州のローカルな要素だけでこの時代の同地の状況を説明するのは適当ではなく,中西牛郎や八淵蟠龍ら,欧米を意識し,やがてアメリカ留学の経験を踏まえながら,日本仏教に向き合っていく人々の影響も考慮すべきとの議論がなされた。特に中西については,同志社などで学んだキリスト教(プロテスタント)に加え,進化論,神智学など多様な宗教や学知を吸収した上で,普遍的な「宗教」の枠組みからの仏教改革論を唱え,同時代の若い仏教者たちに大きな影響力を与えた。ただし,その歩みは一貫性を欠いているようにも見受けられ,中西の思想と,それを受容する側の意図や運動については,分けた上で検討していく必要があるとの指摘があった。

 最後に,明治20年代までには,九州での真宗を中心とした動きのみならず,全国的に教団の意向からはある程度自由な結社の活動が盛んに行われており,その総体を改めて検討していくことは,海外宣教会を時代の文脈で考察する上で欠くことのできない作業であることが確認された。

以上

【文責】アジア仏教文化研究センター

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