研究活動

研究活動

2016年度 グループ1ユニットB 第3回ワークショップ

報告題目鈴木大拙夫妻を解読する―研究の現状に関するラウンドテーブル
開催日時2016年12月7日(水)15:00~18:30
場所龍谷大学大宮学舎清和館3階会議室
報告者ジェイムズ・ドビンズ(オーバリン大学)
リチャード・M・ジャフィ(デューク大学)
ジュディス・スノドグラス(西シドニー大学)
ウェイン・ヨコヤマ(花園大学)
ファシリテーター吉永進一(舞鶴工業高等専門学校)
アリス・フリーマン(オックスフォード大学)
参加者22人

【議論の概要】

 近代以降における日本仏教の国際化を代表する人物である鈴木大拙(1870-1966)について,国外での研究状況や新しい資料に関する報告が行われ,それに基づき議論がなされた。

 ドビンズ氏は,大拙の妻であるビアトリスとその母であるエマの生涯や経歴について,通説の修正を迫る報告を行った。氏がその検討のために主に用いたのは,アメリカの諸機関によって保存されている各種の公文書である。そこには,同国の国勢調査の報告書のほか,市民登録書やパスポートの申請書などが含まれている。

 エマの死去の翌年である1927年,ビアトリスはエマの回顧録をまとめ,大拙がこれを出版した。同書は,エマとビアトリスの人生について知るための基礎資料であるが,その記述には偽りがあることが,このたび判明した。ビアトリスは,英国の貴族である彼女の母が,アメリカの外交官であるトマス・レーンと結婚し,ビアトリスが生まれ,さらに両親が離婚の後,母がドイツ人医師のアルベルト・ハーンと再婚した,と書いている。しかし,これは部分的には事実ではない。

 1899年に発行されたビアトリスのパスポート申請書や,翌年の国勢調査の報告書には,「ビアトリス・ハーン」と記載されており,彼女はこの時点では義父の名前を使っていた。ところが,彼女が大拙と知り合った後の1910年の国勢調査報告書では,「ビアトリス・レーン」となっており,父はアメリカ人と記されていた。また,大拙と出会う前の各文書では,彼女の生年は1875年となっていたが,大拙と出会った後の文書では,ほとんどが1878年と記されていた。これまでの通説では,彼女の生年は1878年とされてきたが,この説は改められなければならない。

 さらに,エマとトマス・レーンの結婚証明書(1867年)では,レーンの職業が「靴職人」となっており,彼は外交官ではなかったようである。また,エマはロードランド州プロビデンスの生まれであり,英国の貴族の家系出身ではなかった。エマには何か秘密があり,ビアトリスはそれを知っていたため,後の結婚相手になる大拙に出会ってから,ビアトリスは自分の家系や経歴を偽るようになったのではないだろうか。

 ヨコヤマ氏は,主に英語圏での鈴木大拙をめぐる研究や資料調査の現状について報告した。近年,エマの活動に関する論文が,女性による労働運動に関する研究として発表された("Emma Lane of Lynn"in Mary H. Blewett, Men, Women, and Work: Class, Gender, and Protest in the New England Shoe Industry, 1780-1910)。同論文の著者は,エマがビアトリスの母であることに気付いてないようだが,しかし,その研究からはボストンで活躍していた時期のエマに関する,新たな知見を得ることができる。

 また,いまだ著作としては発表されていないが,Brian Riggsによる研究によって,アメリカで禅仏教を教えていた時代(1905年〜1906 年)の釋宗演に関し新たな事実が判明しつつあり,釋をサンフランシスコに招聘したIda Russell(Alexander Russell夫人)らのグループは,植村宗光を評価しており,大拙の通訳については不満があったなどの事実が判明している。そこから同時代の大拙の活動や,アメリカへの禅の移入に関し,研究が大きく進展しそうである。さらに,大拙とアメリカで出会い,スエーデンボルグに関する知識を大拙に与えたエドマンズについての資料が,ペンシルバニア歴史協会(Historical Society of Pennsylvania)にあることがわかっており,その資料の検討からも,大拙に関する理解が進むことが見込まれる。

 ジャフィ氏は,戦後の日米における禅仏教の興隆に,ロックフェラー財団による支援が大きく影響していたことについて論じた。1950年代,同財団の潤沢な資金によって,大拙はアメリカ東海岸の複数の大学を講演して廻った。この講演旅行に関わる記録や,大拙へのインタビュー記事が,同財団の文庫に保存されている。それらによると,大拙は偉大な禅仏教の哲学者として歓迎され,聴衆から高い評価を得ており,アメリカの哲学者に対する影響も少なくないとされている。

 一方,1960年代には,アメリカで大拙と交流したリチャード・デマルティーノが,やはりロックフェラー財団の資金援助のもと日本に滞在し,久松真一のもとで坐禅修行したり,西谷啓治の授業に出たり,大拙の教行信証の英訳を手伝ったりしていた。デマルティーノは,久松を指導者とする「無教会禅」を創造し,これをアメリカで広めようとしていたようである。デマルティーノらの活動の背景には,大拙を通して日本に資金を送り,京都学派の哲学者らを支援するとともに,アメリカの研究者を日本に派遣する事業を進めるなど,禅仏教を通した外交戦略があった。

 大拙をアメリカに招いた人物の一人であるロックフェラー財団のチャールズ・ファースCharles Fahsは,前職はOSS(Office of Military Strategic Services)の極東部門に勤務しており,戦後日本に民主主義を広めるための活動の一環として,禅仏教に注目したものと思われる。禅仏教が,戦後日本の社会形成に役立つという信念のもと,ロックフェラー財団から膨大な資金が提供されていたのであり,戦後の仏教史を考える上で,この問題に関する研究を進めていくことは欠かせないだろう。

 スノドグラス氏は,近代仏教の一つの大きな特徴として,出版物(事業)の重要性があることを指摘し,特に英語仏教雑誌のThe Young East(1925-1941)を事例にして,研究の指針を示した。出版物を焦点化した研究でまず考えるべきは,当該の刊行物がどのような文脈でつくられ,流通し,読者に届いていたか,ということである。また,刊行物がどのような形で,どのようにデザインされていたのかという,物質的な側面も大事であり,また刊行物をとりまくネットワークの性格についても見ていく必要がある。

 The Young Eastは,桜井義肇や沢柳政太郎や姉崎正治など,明治の仏教青年時代から交流を続けてきた人々のネットワークをその人的な基盤としていた。同誌では,戦後のエンゲイジド・ブディズムを先取りするような主張がなされており,また,国と宗教の壁を超えたネットワーク形成が目指されていた。同誌が読まれていたのは,大使館や多国籍企業などであり,当時の仏教国際化の取り組みとして注目される。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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