研究活動

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2016年度 グループ1ユニットA 第3回セミナー

報告題目論義と仏道―法相・華厳・天台―
開催日時2017年1月17日(火)15:00~16:30
場所龍谷大学大宮学舎清和館3楷ホール
ファシリテーター大谷由香(BARC研究員、龍谷大学非常勤講師)
参加者44人

■報告者・報告題目:
藤丸 要(龍谷大学教授)
 「華厳論義の成立と展開」
道元徹心(龍谷大学教授)
 「天台論義資料への一視点 ―千観撰『法華三宗相対抄』・東大寺図書館蔵『天台宗一乗義秘要抄』を手掛かりに―」

【報告のポイント】

「論義」によって練り上げられた日本仏教各宗の教義のあり方を、華厳宗・天台宗の視点から明らかにした。

【報告の概要】

藤丸 要(龍谷大学教授)
 「華厳論義の成立と展開」

 現在、華厳の論義の多くは東大寺図書館に蔵されているが、そのほとんどは鎌倉時代以後のものであり、それ以前のものはほとんど存在していない。それは治承4(1180)年12月、平による南都焼討により、東大寺は壊滅的な被害を被り、多くの文物が焼失してしまったことによる。その後、寺内の塔頭の中では、焼失以前から有力寺院であった尊勝院と東南院が真っ先に復興され、華厳に関しては尊勝院が教学研究の中心となり、焼討以前と同様に論義を主体とした研鑽方法が復興された。本報告においては、現存する論義書のなかの『探玄記肝要抄』を取り上げ、その編纂過程等の検討を通し、華厳論義の成立と展開について考察を進めた。
  『探玄記肝要抄』は中国華厳宗第三祖賢首大師法蔵の主著である『華厳経探玄記』の肝要をまとめた書である。この書は論義書であり、遅くとも鎌倉初期には成立していたと推測される。『肝要抄』の写本の多くは東大寺図書館に現存し、鎌倉初期から江戸時代に至るまで書写され続けている。このような書は珍しく、東大寺における論義の形成過程を知る有力な手がかりとみなすことができる。
 『肝要抄』の成立年代は不明であるが、平安末期~鎌倉期には原初的形態は成立していたようである。各種写本をみると、今日の四文字程度の論題の名称は、三段階を経て作成されたようである。第1段階は単なる問答体として記述された(鎌倉初期~中期頃)。第2段階は便宜上、最初の「問」のみをまとめて冒頭部分に掲載された(南北朝~室町期頃)。第3段階は現行の四文字程度の名称として整備された(室町末期~江戸初期)。
 今後は『肝要抄』の作者や成立、他の論義書との関わりについて検討し、華厳論義の成立の解明を進めるとともに、華厳の諸論題を様々な視点から考察し、華厳宗の展開状況を再検討することを課題とする。そして、今回の検討により、諸宗の現行の論題の名称にについても、同様の経緯を経て作成されたと推定することができ、この点についても検討していくととして、この度の報告を締め括った。

道元徹心(龍谷大学教授)
 「天台論義資料への一視点 ―千観撰『法華三宗相対抄』・東大寺図書館蔵『天台宗一乗義秘要抄』を手掛かりに―」

 天台の論義とは、往復問答により経典の内容を教理と文証で明らかにすることである。その始まりは延暦17(798)年に天台大師智顗への報恩会として、最澄によって始められた霜月会とされ、内容は法華三部経十巻を「法華十講」として始められた。その後、最澄入滅の翌年の弘仁14(823)年に最澄の弟子であった義真により、霜月会にならって最澄への報恩会として六月会の「法華十講」が行われた 。この霜月会と六月会は山上二会としてなされ勅会として論義が営まれるようになっていった。
 天台教学における論義体系には3部門ある。1つには「義科」、天台の聖典について論じ、他宗の教義と比較して自宗の教理をたてるもの。2つには「宗要」、天台宗の大綱を示して宗義の主題を説き、良源の時代に始まったとされ、六部九十四論題の確立は鎌倉時代以降のことである。3つには「問要」、二百余りの論目で義科と宗要のいずれも含まれないものと、それぞれ定められている。
 千観撰『法華三宗相対抄』五十巻は、『法華経』二十八品の各内容を経・論等の引用を通じて明らかにし、別本として6巻を立て、天台の立場から三論と法相とを比較して法華一乗を鮮明に説くものである。今後の問題点として、所謂余乗を華厳経中の別教とし、三乗家の菩薩を黄牛と譬喩すること等、日本天台史においてあまり見られない点を検討し、その理由を探ることであり、さらには後世への影響の有無も挙げられた。
 平岡定海博士は宗性関係の天台文献として24点の典籍を挙げ、それらの奥書に対して調査している。そのなかで『天台宗一乘義秘要抄』の内容を考察して見えてきた事柄として以下のように指摘する。宗要六部九十四論題は平安末以降の成立と言われ、南都北嶺において同じ内容が考究されている。宗性に関する文献を考察すると、南都北嶺の論義テキストが撰述される過程において算題が固定化されていく面も強かったのではないかと。
 最後に天台論議資料への一視点として、論義資料を通じて小さな教学論点も明らかになり、南都北嶺の教学交流をみる可能性があると締め括った。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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