研究活動

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2016年度 グループ1ユニットB 文化講演会 世界認識と「アジア」(第3回)

報告題目大谷光瑞の世界認識
開催日時2017年1月21日(土)13:30~15:00
場所龍谷大学深草学舎和顔館地下1階B201
報告者三谷真澄(龍谷大学国際学部教授)
参加者173人

【報告のポイント】

 2018年は大谷光瑞師没後70年という節目を迎え、日々、様々な角度からの研究が進められている。この度の講演会においては、光瑞師の名前を初めて耳にする学生から研究者に至る幅広い聴衆に向け、師の日本、世界、そして、仏教に対する考えについて改めて考察が試みられた。

【報告の概要】

 そもそも「世界」という言葉は仏教用語である。「世」という言葉と、「界」という別々の言葉によって成り立ち、「loka-dhatu」を訳した言葉である。岩波仏教辞典によると「衆生の住むところ」という意味であると記載され、「loka」は過去・現在・未来の三世のことであり、「dhatu」は四方・四維・上下を合わせた十方の空間のことである。また、一般的には「世間」という言葉も知られ、これは「衆生世間」という世間に存在する者と、「器世間」というそれらが存在する場所も意味する。通常、命あるものと命ないものとに分けるなか、仏教は全てを「世間」と考えている。このことより、仏教の意味合いからすれば「世界」とは、ありとあらゆる事物を含むということになる。

 光瑞師は1903年1月25日に本願寺住職になり、本願寺管長を襲名し、1914年5月14日に本願寺住職並びに真宗本願寺派管長を引退する。引退後は世界各国を巡りながら様々な事業を行い、1948年10月5日に別府で亡くなる。本願寺住職という一面だけではなく、特に自身のパスポートの職業欄に「農業家」と記されていることから、その面にも注目される。インドネシア、トルコ、台湾などで農業経営を経験し、トルコではメフメド・メムドゥフ・ベイ氏と絹織物を共同経営した。この共同経営がトルコ産業の出発点となったのである。このように光瑞師を一言で表現しようとすれば、宗教者・仏教者・研究者・農業家の他、実業家・探検家・教育者・著述家・政治家等といくつも挙げることができる。

 光瑞師の偉大な業績の1つである大谷探検隊について、白須淨眞氏は「アジア広域調査活動」と定義し、シルクロード、中央アジア、或いは香港等の特定の場所だけでなく、非常に広い範囲にわたる調査活動であることより、「探検」という言葉を敢えて使わない。全く何もわからない場所へ行き、訳のわからないものを見つけて持って帰ったというものではなく、仏教に関わる総合的な調査・報告であったと理解することができる。単なる「探検」ではなく、「expedition」や「exploration」ではないことに注意すべきである。

 第1次探検は1902~1904年、第2次探検は1908~1909年、第3次探検は1910~1914年と伝わり、毎次8月16日が出発日である。本願寺は明如上人時に様々な改革がおこなわれ、その1つに西暦を用いるようになり、例えば親鸞聖人が生まれた日を4月1日から5月21日に、亡くなられた日を11月28日から1月16日に変更した。当時はそれほど定着していなかった宗祖のご命日「16日」を、大事な日とした意をうかがうことができ、新しい暦を取り入れる先進的な部分を垣間見ることができる。

 光瑞師はアジアの仏教徒としての役割を当然のように担っていった。そして、日本から仏教を伝えていくという「仏教西漸」という在り方も、強く意識した活動を繰り広げておられた。大谷探検隊が意図したところは、どこまでも仏教が肝要であり、あらゆる活動は仏教の慈悲の考え方に基づくものであった。また、仏教が有する科学的思考に立脚し、「食」が人間を形成する最も重要な生活基盤であることより、「農業」へと関心を向けていった姿勢も、改めて見ならうべきことと考える。

 仏教というものがいかなる環境のもとに繁栄し、いかなる環境のもとで衰退していったかということを問題にしていた大谷探検隊であった。そして、仏教がいかにこの世界と関わり、今を生きる人間の営みと関わるかについて考えるとき、1つの選択肢としては科学的な思考方法が挙げられ、光瑞師においてはそこに「農業」というものが明確にリンクしていったと考えることができると締め括った。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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