研究活動

研究活動

2016年度 グループ2ユニットB 第1回国際シンポジウム

報告題目浄土真宗・キリスト教・イスラームにおける比較神学的対話
開催日時2017年2月15(水)-17日(金)
場所龍谷大学大宮学舎清風館B102
参加者50人(15日),32人(16日),29人(17日)

■報告者・題目:

【公開講演】

ペリー・シュミット・ルンケル(ドイツ・ミュンスター大学教授)

「宗教多様性のフラクタル的解釈」Lecture 1 Schmidt-Leukel.pdf

小布施祈恵子(神戸市立外国語大学研究員)

「仏教徒とムスリムの相互認識―日本仏教からの視座を中心に」

【Research Meetings】

Meeting Theme: "Truth/Reality"

Session (1): Buddha's Teaching, Revelation, Logos

Dennis Hirota(龍谷大学名誉教授)

"The Teaching as Truth in Shinran"

Imtiyaz Yusuf(マヒドール大学准教授)

"Revelation in Islam"

Perry Schmidt-Leukel(ミュンスター大学教授)

"Buddha's Teaching, Revelation, Logos: A Christian Perspective"

Session (2): Universality and Exclusivism

Mitsuya Dake(龍谷大学教授)

"Universality and Exclusivism in Religious Dialogue from the Perspective of Shinran's Thought"

Junya Shinohe(同志社大学教授,一神教研究センター長)

"Universality and Exclusivism in the Perspective of Islam: "A Concept of the House of Islam and the House of War""

Peter Phan(ジョージタウン大学教授)

"Universality and Exclusivism: A Comparison between Catholic Theology and Pure Land Buddhism on Religious Pluralism"

Session (3): Myth and History

David Matsumoto(米国仏教大学院院長)

"Myth and History in Shin Buddhist Thought"

Maria Dakake(ジョージ・メイソン大学准教授)

"Myth and History in Islamic Religious Thought"

James L. Fredericks(ロヨラ・メリーマウント大学教授)

"Myth and History in Christian Thought"

Session (4): Amida, Allah, Trinity

Eisho Nasu(龍谷大学教授)

"Relativizing the Monotheistic Discourses of Creation: Two Buddhists' Views"

Elif Emirahmetoglu(ミュンスター大学リサーチアシスタント)

"A Muslim Perspective of the Concept of Ultimate Reality"

Bernhard Nitsche(ミュンスター大学教授)

"Christian Doctrine of the Trinity: Distinctive Concerns and Possible Encounters with Buddhism and Islam"

■総合司会:嵩満也(龍谷大学国際学部教授)

■共催  :ミュンスター大学,ジョージタウン大学

【シンポジウムの概要】

 龍谷大学アジア仏教文化研究センター,ドイツのミュンスター大学,アメリカのジョージタウン大学の共催による国際シンポジウムが,3日間にわたって開催された。初日の公開講演では,自然神学研究の世界的権威であるギフォードレクチャー(2015年度)を担当したペリー・シュミット・ルンケル氏が,宗教多様性に関する最先端の理論について講演した。また小布施祈恵子氏が,日本仏教とイスラームの関係について,歴史と理論の両面から検討する講演を行なった。これらの公開講演に続く2日間には,浄土真宗,キリスト教,イスラームのいずれかの神学的立場をとる国内外の計12名の研究者による比較神学の討論会が開かれ,詳細な議論が行なわれた。

【公開講演の概要】

 ペリー・シュミット・ルンケル氏は,2015年のギフォードレクチャーにあたり着想するに至った宗教多様性の「フラクタル的解釈」について,いくつかの側面から説明した。

 「フラクタル(fractal)」という概念は,1975年に数学者のブノワ・マンデルブロによって提唱された。フラクタルとは,ある形と完全に同一または相似した形が生み出されるパターンないしは構造のことであり,たとえば図形の全体と部分が相似形になっている場合などがこれにあたる。このフラクタル構造は,不規則的にではあるが自然界のあらゆる領域に認めることができ,氷の結晶や波の形状,カリフラワーの形態などがその例である。そして宗教の世界でも,時にフラクタルな構造があらわれることがあり,ヒンドゥー教のコスモロジーや,華厳経,キリスト教のロゴスの思想などに確認することができる。

 フラクタル構造と近い視点から文化や宗教を説明する研究者たちは,これまでも少なからず存在してきた。中村元は,世界の諸宗教・思想に見られる近似した問題意識について指摘しており,スイスの哲学者エルマー・ホーレンシュタインも,文化的多様性のなかにある共通の構造を論じてきた。ここでホーレンシュタインが論じている文化的多様性には3つの段階があり,異文化,文化内,個人内の3つのレベルに分かれる。この見解を宗教的多様性のフラクタル的解釈をめぐる議論に応用すれば,宗教間,宗教内,個人内という3つのレベルから,宗教の多様性と共通性について考えることができるだろう。

 現代の神学や,神学的立場からの宗教間対話においては,フラクタル的解釈に基づく議論がすでに行われている。ジョン・カブは,宗教を究極的実在についてのとらえ方の相違に応じて3つに類型化(宇宙論的,非宇宙論的,有神論的)した上で,これを異なる宗教伝統に関する分類と,同一の宗教伝統内での異なる現象に関する分類のそれぞれに適用している。マーク・ハイムもまた,キリスト教に由来する三位一体の概念を,宗教の3つの次元(非個人的,個人的あるいは偶像的,集団的)と理解した上で,この類型をキリスト教以外の宗教にも適用した考察を行っている。

 宗教のフラクタル的解釈は,厳密な意味では同じではないが,不規則的な相似性を有する諸宗教が,互いに理解し,学びあうための有効な理論となりうる。また,同じ宗教内でも異なる伝統や学派に連なる他者との結びつきを見出し,新たな解釈を生み出していく可能性も秘めている。

 小布施氏は,日本とイスラームの関係を歴史的に振り返った上で,現代の日本仏教(徒)がイスラームをどのように理解しているのかについて検討した。

 近代以前において,日本人がムスリムと交流することはごく少なく,唐の時代の中国での接触など,わずかな記録が残るのみである。19世紀の開国後には本格的な交流が始まり,有名なエルトゥールル号事件をきっかけとして,野田正太郎が日本人として初めてイスラームに改宗した。日露戦争の勝利以降は,アジア諸地域のムスリムによる訪日が増え,また1909年には,山岡幸太郎が日本人として初のマッカ巡礼を行っている。

 当時の日本におけるイスラーム観は,西洋のイスラーム世界に対する偏見をそのまま踏襲している部分が大きく,植民地主義的な偏見から,イスラームゆえに遅れているという認識が主流であった。また,イスラーム圏に渡航した人々の記述には,現地の宗教に対する誤解も散見される。ただし,曹洞宗僧侶の忽滑谷快天のように,ムハンマドを偉人として高く評価する人物もいた。

 第二次世界大戦中には,政治的な思惑からイスラーム研究が盛んになり,回教圏研究所(井筒俊彦が所属)などの組織が設立された。これにより,日本におけるムスリム像も現実的なものになっていった一方,イスラームに対して国家神道的な解釈や,日本仏教的な説明を行う知識人も少なくなかった。

 戦後になると,イスラーム研究は放棄され,中東情勢の変化にあわせて散発的に関心が高まるという状況が続いた。ただし,近年は移民が増えてきており,日本人がムスリムとどう関係していくべきかが問われている。しかし,日本の宗教者とイスラームの専門家の間の対話は,いまのところほとんど行われておらず,日本の仏教者によるイスラーム論も,現状では数が限られている。

 狐野利久は,大谷派僧侶であり,真宗門徒や一般読者向けに,仏教(真宗)とイスラームの異同を解説している。弧野は,仏教とイスラームの共通性を、アラーと阿弥陀仏の「慈悲」や,神(仏)への服従(帰依)といった点に見出している。一方,曹洞宗僧侶の東隆眞は,諸宗教の平和共存を目標としながらも,宗教ごとの教義上の共通性を論じることには消極的であり,仏教の言葉を用いてイスラームを説明することに対しては批判的である。

 理論的に言えば,狐野の見解は「並列主義」を採っており,これは対話の基盤としての宗教間の教義的な共通性を,解釈学的に探っていく立場である。一方,東の主張は,他宗教を安易に「理解」してしまうことの危険性を示唆しており,他宗教との違いを認めた上で,相互理解と共存を模索していく立場であると言える。

【Research Meetingsの概要】

 第1セッション「仏説・啓示・ロゴス」では,まずHirota氏が,親鸞の信心の特徴や彼の思想における「真」の意味について多角的に分析し,その動的・対話的・多元的な性格を明確にした。次にYusuf氏が,イスラームにおける啓示の概念について,キリスト教との相違点を確認しながら論じた上で,真宗における念仏および浄土和讃と,クルアーンの記述を比較し,仏教とイスラームの共通点を探った。最後にLeukel氏が,キリスト教の立場から,仏教とイスラームとキリスト教それぞれの啓示的な性格をめぐり,特に各宗教における言語と人間の位置づけに注目しながら比較考察した。

 第2セッション「普遍と排他主義」では,まずDake氏が,親鸞思想における「真如」「一如」「自然」概念の検討を通して,宗教における普遍と排他主義の関係性について考察した上で,どの宗教も排他主義の問題から完全に逃れることはできないことを指摘し,そうした前提のもといかに対話を進めるべきかを問うた。次にShinohe氏が,イスラームの内部における教義レベルでの普遍性と地域や実践レベルでの排他性という要点を述べた後,異教徒との関係については,イスラームは基本的に共存を可能とする発想を有していることを説明した。最後にPhan氏が,自らの唯一性を誇るカトリックがなお包括主義を採り入れてきたことの意味を論じた上で,親鸞による本願や念仏の教えを導きの糸として,仏教とカトリック神学との対話の基盤を模索した。

 第3セッション「神話と歴史」では,まずMatsumoto氏が,神話と歴史の性質や相違に関する原理的な考察を行った上で,真宗思想における神話と歴史について,特に方便に関する親鸞の多元的な理解を,浄土仏教の脱神話化として論じ,さらに近代日本における同様の試みについても言及した。次にDakake氏が,イスラームの伝統に「神話」として扱いうるものがあるかを,マッカ巡礼の事例などを通して考察し,またイスラームにおける歴史概念の多層的な性格を明らかにした。最後にFredericks氏が,エリアーデの学説を参照しながらキリスト教の歴史観を論じ,さらにリクールのアダム神話に関する哲学的な解釈について議論した。

 第4セッション「阿弥陀仏・アラー・三位一体」では,まずNasu氏が,宗教間の交渉の際に生じる各宗教の「絶対性」の問題について考えるために,Migettuwatte Gunananda TheraとAdrian Shitoku Peelによる,キリスト教の創造(主)論に関する仏教教義を援用した議論について検討した。次にEmirahmetoglu氏が,イスラームにおける神の理解には超越と遍在の二つの側面が見られることについて,その神学の根幹となる「タウヒード」概念を主な手がかりとしつつ,キリスト教および真宗との比較も視野に入れながら考察した。最後にNitsche氏が,キリスト教神学における三位一体論の展開をおさえ,また神の全能性の意味について整理した上で,仏教やイスラームの教義と接続しうる論点を提示した。

以上

【文責】アジア仏教文化研究センター

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