研究活動

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2017年度 グループ1ユニットA 第1回学術講演会

報告題目日蓮の謗法観と阿闍世解釈―親鸞教学との接点を求めて―
開催日時2017年7月24日(月)16:45~18:15
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者原 愼定(立正大学仏教学部教授)
コメンテーター杉岡孝紀(龍谷大学農学部教授)
参加者28人

■共催:龍谷大学仏教文化研究所

【報告のポイント】

 龍谷大学において真宗学を学ぶなか、日蓮教学の研究者の話を聴くことや、その最新の研究課題等を知ることは難しい状況である。そこで、この度は法然・親鸞の浄土教を批判する日蓮教学の研究者を招き、その謗法観や阿闍世解釈を通していくつかの接点が明らかとなり、これまでの双方の関係を検討し直す機会となった。

【報告の概要】

 親鸞(1173~1262年)と日蓮(1222~1282年)はほぼ同時代を生きながらも、お互いに知り合うことなく生涯を終えているが、共通点の1つとして「正嘉の大地震」が挙げられる。親鸞は門徒からの報告でこの地震のことを知るが、多数の人が亡くなろうとも生死無常の理を示すものであると、『末燈抄』(文応元(1260)年11月13日)に言及している。一方、日蓮は自身もこの地震の被災者であり、仏教が苦悩にあえぐ民衆の現実的な救いとして機能していない現状に対し、『立正安国論』(文応元(1260)年7月16日)を著して仏法受容の姿勢に根本的な誤りがあることを指摘し、是正の方法とさらなる災難(内乱と外寇)を未然に防ぐための方策を幕府に提言した。

 日蓮は「謗法(誹謗正法)」を末法衆生に共通する宗教的罪とし、これは正法に背くこと、正法を捨てさせる(退転させる)ことであるとし、自他ともに気づかない罪であり、「謗法」の罪は末法の日本国全体に波及し、もはや個人レベルの罪ではないとさえ考えるのである。さらには、法華経信奉者のなかにも「謗法」は潜在すると日蓮は考えており、仏法の恣意的解釈、自分本位の仏法受容、自己満足的な信仰に対する批判と解することができる。

 日蓮は阿闍世が犯した「父殺し」の「逆罪」を、世俗倫理の次元よりも釈尊に敵対した宗教的「罪」として注目していたようである。また、釈尊のいとこである提婆達多に惑わされたために、釈尊との根源的父子関係を忘失し、宗教的「罪」に陥っている人間存在の典型として阿闍世のことを見るのである。日蓮は阿闍世の悪瘡は「五逆・謗法」の罪に起因し、慚愧の心によって釈尊に帰伏する契機となったのであり、これと同様に末代の人々の病および社会的な疫病も、『法華経』に随順することによって治療されると考えるのであり、阿闍世を末法の日本国という歴史社会そのものを象徴する存在とする認識は、その解釈として大きな特徴と言い得る。

 親鸞は阿闍世物語を父と母と子の家族間の愛憎ドラマとして捉え、人間の煩悩にまつわる「罪」は人間相互の関係のなかで連鎖しており、縁起と空の思想によって「罪」は解消されるという見解に立つ。このため親鸞は阿闍世を煩悩具足の凡夫の典型として捉え、親鸞自身の内省的な意識のなかで阿闍世と自己の同一化を図り、浄土念仏の信心を確立しようとしたものと考える。

 日蓮は阿闍世物語を教主釈尊に対する違背の「罪」をめぐる社会的ドラマとして捉え、悪知識に惑わされて仏法の秩序が混乱し、社会全体が「罪」に陥ったために国土に災難が続出したという見解に立つ。このため日蓮は、阿闍世を為政者ないし社会そのものを象徴する存在として捉え、末法の日本国における「法華経の行者」として、教主釈尊の本願を歴史的場面で継承することに徹した。このように、阿闍世の罪と救いをめぐる両人の相違を認めることができるのである。

 最後に『法華経』の教理と救いの構造にふれ、法華一仏乗とは無理やりに一つの色に染めることではなく、各自の違いを認め合いながら、全体として調和をはかってその状態を維持することとし、対話・対論の重要性を説くこととその意味を定める。また、敵対的相即の論理として、「相対種(敵対種)」=敵対相反の関係にある対極を、自己の展開にとって不可欠な資成軌とし、しかもその敵対者を自己と同体とみなすことであり、前述の提婆達多を悪知識とも善知識とも位置づけることと重なる。そして、常不軽菩薩の但行礼拝に基づき、宮沢賢治『雨ニモマケズ』の「デクノボー精神」の根拠であることと関連させながら、受難と滅罪の実践論の在り方への言及をもって講演を締め括った。

【議論の概要】

 講演を通し、日蓮の主要な著作以外にも多くの遺文が現存していることを改めて知ることができ、また、日蓮の持つ社会性や歴史を重んじる姿勢は、社会や国のなかに阿闍世を意義づけていくなかにも垣間見え、親鸞とは異なる特徴的な解釈と解することができると、杉岡氏はコメントをよせた。その他、日本におけるキリスト教と浄土真宗と日蓮宗との関係性や、日蓮教義の教学史的視点よりその独自性や独善性についての見解等について議論が交わされ、相互に理解を深めることができた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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