研究活動

研究活動

2017年度 グループ1ユニットA 第3回学術講演会

報告題目親鸞にとっての真実行
開催日時2017年12月11日(月)17:00~18:30
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者一楽 真(大谷大学教授)
コメンテーター杉岡孝紀(龍谷大学教授)
参加者45人

■共催:龍谷大学仏教文化研究所

【報告のポイント】
 グループ1ユニットAサブユニット1は龍谷大学大宮図書館所蔵の『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行証文類)の文明本に関わる、書誌学的、文献学的、さらには思想的、教義的な研究も進めている。この度の一楽真氏による「親鸞にとっての真実行」と題しての講演を通し、特に思想的、教義的研究の進展を図ることができた。

【報告の概要】
 真宗学を専門とする一楽氏は『教行証文類』を中心におきながら、特に親鸞の仏弟子論に立脚しながら研究を進められている。多数の学術論文や口頭発表のなか、親鸞の750回大遠忌に際して大谷大学から出版された記念論文集の『教行信証の思想』に、「親鸞における真実行」という一楽氏の論文があり、この度の招聘はこの論文に起因している。
 親鸞の主著である『教行証文類』には「教行証」という文字が含まれる。これらは聖道門、浄土門の両門に共通する基本的な仏教体系を表し、これら3つを具えてこそ、あらゆるものが迷いを超えていくのである。一連の「教」「行」「証」を追究し、明確にしていくところに仏道としての営みがある。これらのなかの「行」とは、迷いを超えていく為の実践であり、基本的には衆生の仏道の歩みとして示されてきた。そして、この「行」は必ず「証」に結び付くものであり、「証」に結び付かないものであれば、「行」と言うことはできない。
 しかし、「行」を実践するなか、果たして「証」に辿り着くことができるのかと疑問を持てば、継続することは困難となり、親鸞が比叡山を離れる決定的な理由となったと、十分に考えることができる。何をもって「行」とするかという問いを持つなか、法然が説いていた専修念仏との教えに出遇い、後に親鸞は『教行証文類』の後序において、「雑行を捨てて、本願に帰す」とその時のことを述懐している。
 この「雑行」という表現より、自らの力をもって自らの迷いを超えることができなかった実践的な問題を有していたと考えることができる。「雑行」とは衆生から仏へのはたらきかけであるが、「本願」とは仏から衆生へのはたらきかけであり、この本願に帰すことによってのみ、衆生が迷いを超えていくことができるとし、これが親鸞の「行」に対する見方であり、さらには仏教全体に対する見方と言っても過言ではない。
 親鸞は聖道門の様々な行を止め、称名念仏だけを選び取ったとは言わない。もし、このように言ってしまえば、沢山の行のなかから称名念仏を選び取ったというだけで、横並びの関係性のままである。「本願に帰す」と述べていることより、「行」そのものの意味が展開したことが明らかとなり、ここに親鸞にとっての真実行の在り方をうかがい知るのである。

【議論の概要】
 浄土真宗における「行」の認識と通仏教における「行」の認識との相異点や、大乗菩薩道における自利・利他を通して見る対人関係問題等について議論を交えながら、さらに理解を深めることができた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

DSC_0057.JPGDSC_0060.JPG

DSC_0062.JPG

このページのトップへ戻る