研究活動

研究活動

2017年度 グループ2ユニットB 第1回研究会

【報告の概要】

 スダン・シャキャ氏は,ネパールにおける仏教の現状について,特にその組織構造と儀礼の内容に注目して報告した。現代ネパールでは,ヒンドゥー教徒が約80%,仏教徒が約10%を占める。多民族(言語・文化)国家であり,ネパールの仏教徒も複数の民族によって信仰されている。仏教は大きく3つに分かれ,①テーラヴァーダ仏教(ネパールでの歴史は新しい),②チベット仏教(古くから信仰されていたが,中国のチベット侵攻後に改めて流入),③ネパール仏教(ネワール人が信奉する伝統仏教)である。このうち以下では,伝統的なネパール仏教について述べる。

 ネパールの街は,寺院(四角い中庭に囲まれてるのが特徴)を中心に形成されてきた。寺院には,少なからぬ原典が残っており,インドで途絶えた仏教文化が,部分的に継承されてもいる。ネパール仏教には,もともとカースト制度は存在しなかったが,14世紀に成立した新たな王朝で大きな社会改革があり,カースト制度が導入されるに至った。結果,僧侶(ヴァジュラーチャールヤ)と施主(シャーキャ)の2つに身分が分かれた。そして,それぞれ身分が固定され,僧侶も施主も世襲制となった。

 寺院を構成する組織は,サンガとグティに大別される。サンガはそれぞれの寺院に存在しており,それに僧侶と施主の両方が所属する。たとえば,ゴールデン・テンプルには5000人ものメンバーが所属している。グティは,日本でいう「講」にあたる。一寺院に対し複数のグティが結成されており,たとえばサナー・グティのように,葬式の執行を受け持つグティも存在する。

 ネパール仏教の人びとは,生まれながらにして仏教徒になるが,決まった通過儀礼を経て釈迦族になる。伝統的な通過儀礼は,誕生式から結婚式まで,10種類の儀礼で構成される。葬式はここには入っていないが,それは葬式が不浄なものと認識されているからだろう。

 出家儀礼(日本の得度式にあたる)については,3歳から11歳のあいだの,奇数の年齢の時に,男子のみが行う。4日間だけ出家し,その後に還俗することで,はじめてひとりの仏教徒となり釈迦族として承認される。また,同時に寺院のメンバーとしても認められる。ネパール仏教では,人がサンガに参加してはじめて寺院の行事に関与できるのであり,この点は僧侶も施主も同様である。

 また,僧侶だけが受けることのできる,灌頂儀礼もある。この灌頂儀礼を受けた僧侶は,儀礼の執行が認められるようになる。儀礼の構造は,後期密教がベースとなっており,また,おおむね結婚式と近い時期に行われる。それは,僧侶が世襲制によって成立しており,必然的に妻が必要となるからである。

 今回の研究により,中世のネパールにおけるカーストの規定について記述された資料を発見することができた。今後はこの資料に活用し,僧侶や施主のネパール仏教における位置づけとともに,教団構成を明らかにして,さらに日本の仏教教団の構成と比較する作業に繋げていく。

 井上綾瀬氏は,律文献に記載された古代インド仏教での塩の位置付けについて,ムンバイ北部での現地調査も踏まえ報告した。文献上,塩は比丘が生涯にわたって所持できる,薬の一種である。「疲れ」を理由にいくらでも使用でき,また食品ではなく薬の扱いなので,午後からも摂取できた。非常に暑い風土のため,古代インドでも塩は多用されていたものと思われる。

 塩とは,古代インドでは「塩味がするもの」すべてを包括する。いわゆる塩化ナトリウムに限られない。たとえば,灰でも塩の味がすれば「塩」となる。律文献では,これを色や形や産出地に分けて記述している。

 比丘が使用した塩は,実際にどのようなものだったか。インドは古代から現在にいたるまで,塩が安い地域であり,海塩や岩塩を豊富に得ることができる。また,製塩に有利な土地でもある。現在のインドにある塩田は,19世紀に持ち込まれたヨーロッパ式のものであり,古代インドのものとは異なる。だが,天日だけで製造できる点は同じである。異なる点としては,ヨーロッパ式には濃縮池が取り入れられており,これによって製塩の時間が短くなり,生産量も上がる。このように,技術的には微妙に異なっているが,おそらくこうした技術を用いて製造された塩(塩湖塩)は,海塩や岩塩と並んで,律文献に出てくる塩と同じものであると考えられる。

 古代インドの比丘にとって,塩は「尽形寿薬」であった。加えて,現在ではスパイスとされるものも,塩と同じく,比丘が「薬」として使用していた。今後は,現地で入手したそれらのスパイスを,律文献と照らし合わせていく作業を進めていく。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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