研究活動

研究活動

2017年度 グループ1ユニットA 第6回学術講演会

報告題目天台の思想と造形、文化、儀礼
開催日時2018年3月10日(土)13:00~16:30
場所龍谷大学大宮学舎清和館3階ホール
参加者35人

開会の辞・趣旨説明:大谷由香(龍谷大学特任講師)総合司会

■講師・講題:

西谷 功(BARC研究員、泉涌寺学芸員)
「知られざる宋代天台の儀礼と文化」

久保智康(叡山学院教授、京都国立博物館名誉館員)
「天台の教説と造形美術」

■閉会の辞:宮治 昭(龍谷大学名誉教授)


【報告の概要】
西谷 功(BARC研究員、泉涌寺学芸員)
「知られざる宋代天台の儀礼と文化」

 中国僧・智顕(538-597)の広めた「天台」を日本からの入唐僧が請来し、平安時代には日本独自の多様な展開を見せながら隆盛した。中国においては廃仏などによって唐代仏教が壊滅的打撃を受けたが、宋時代には復興して四明知礼(960-1028)、慈雲遵式(964-1032)などが活躍した。
 現在の「宗派」イメージにより、知られざる儀礼となった宋代天台における祖師(遠忌)儀礼、涅槃会、金光明懺法(泉涌寺修正会)について、現・真言宗泉涌寺派の泉涌寺を対象とし、遵式などの宋時代の天台僧が編集した諸儀礼に基づきながら、以下紹介していく。
 まず、祖師儀礼については、泉涌寺流の儀礼次第書『南山北義見聞私記』に見える宋式「祖師忌」「礼文」儀礼によると、その肖像画(影像)の懸用について言及され、俊芿請来「道宣律師像」「元照律師像」など、請来仏画の可能性大と考えることができる。また、宋時代の僧侶像は椅子上に坐し、この椅子の有無をもって大陸文化摂取の有無の判断基準であり、鎌倉時代の高僧(法然や親鸞)の肖像画と異なる点が特徴的である。
 また、「涅槃会」については、宋代で「釈迦涅槃」を「釈迦の死」ともとらえる儀礼として形作られ、泉涌寺・泉涌寺流寺院においても宋式「涅槃会」を興行し、仁岳の『釈迦如来涅槃礼讃文』に基づいている。これは仏像や経典の使用を定めた儀礼次第書であり、遵式『天台智者大師斎忌礼讃文』になぞらえて作成されており、儀礼次第が共通している。
 そして、「金光明懺法」については、北宋時代の天台僧の遵式の『金光明懺法補助儀』に基づく儀礼を受容する。諸尊集会図(満願寺、南宋時代)によれば、仏三尊(三世仏)と10人の比丘(羅漢)、諸天(二十天)が配される。泉涌寺仏殿安置の三世仏より、この儀礼の実践の可能性が高いと推される。今日に伝わる宋式「金光明懺法」儀礼は、鎌倉時代終わりの儀礼がその根本とみなされている。
 「知られざる」=「忘れ去られた」宋式天台諸儀礼の痕跡は、現在、天台宗寺院ではない寺院に存在している。これは文物や儀礼から明らかとなる多様な仏教社会のすがたであり、「宗派」史観を取り払うことの重要性を指摘した。

久保智康(叡山学院教授、京都国立博物館名誉館員)
「天台の教説と造形美術」

 日本天台の造形の特色については、1.教理の融合性と事相化、造形、2.「円密一致」の教理と造形、3.「法華・浄土双修」の教理と造形、4.「浄密一致」の教理と造形、5.「本地垂迹」の教理と造形の5つが挙げられる。
 日本の初期鏡像としては、「《集古十種》所載鏡像」(989年)や「胎蔵界曼荼羅鏡像」(三仏寺蔵、997年)があり、天台教説による鏡像の創出については、智顕『摩訶止観』の「三諦」や「鏡像円融」譬喩からの可能性や、『大日経』『大日経義釈』に説く灌頂明鏡における自性本有のすがた、仏のすがたの観照からの事相の可能性などが挙げられる。これらは背反するものではなく、同時に語られ、あるいは融合の方向で深化をみた。顕密の多彩な教学を修め、融合し、実践しようとした平安時代半ばの天台宗ならではの営為である。
 法華・浄土双修については、その縁起や本尊、供養と目的などについて、「法華曼荼羅」や「板彫法華経曼荼羅」などの描写に基づきながら説明し、10世紀後半に法会本尊に阿弥陀仏が主座についたが、その後も他の尊格・曼荼羅が依然として供養の対象となり、法華曼荼羅のように新たな図像まで創出されたことや、それらは従前説のように「願主や亡者生前の本願」という理解だけではすまないなどの問題が出てくるのである。
 浄密一致については、「阿弥陀五尊鏡像」や「金剛界八十一尊曼荼羅」や「阿弥陀来迎図像」などの描写に基づきながら説明し、来迎図鏡像は阿弥陀来迎の観想を印仏という密教行法の道具として用いられていたことを、源信撰の『菩提要集』より明らかとなる。加えて、中国における天台浄土教と鏡像については、『宗鏡録』や『往生浄土懺願儀』より、遵式に至って日本とあい通じた発想より、浄土あるいは弥陀来迎のイメージが、たんなる鏡像譬喩ではなく現実の事相として、実際の鏡面に刻されることがあった可能性が大きいと推される。
 本地垂迹については、独尊鏡像、懸仏(御正体)の出現について「千手観音鏡像」や「十一面観音鏡像」や「山王二十一社懸仏」などの描写を紹介しながら、その思想の萌芽を指摘して締め括った。

【文責】アジア仏教文化研究センター

DSC_0211.JPGDSC_0207.JPG

DSC_0215.JPG

このページのトップへ戻る