研究活動

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2017年度 グループ1ユニットB 第4回学術講演会

報告題目大谷光瑞師と台湾・逍遙園―その建築空間と修復事業を中心として―
開催日時2018年1月19日(金)11:00~12:30
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
報告者黄朝煌(新潟大学現代社会文化研究科・客員研究員,前国立高雄大学・助理教授)
ファシリテーター三谷真澄(龍谷大学国際学部教授)
参加者18人

【講演のポイント】

 台湾の逍遙園は,大谷光瑞師が関与した建築の一つであり,また師が自ら設計に携わったと推定される唯一の建物でもある。本講演会では,近年開始されたこの逍遥園の修復事業に協力している黄氏が,その建築としての特徴と,修復事業の概要について解説した。

【講演の概要】

 大谷光瑞師が設立に関与した建造物は,日本のみならずアジアの各地に存在してきた。これらの建築は,それぞれ師の多様な事業と深く関係しており,また師の思想が反映されてもいる。今回はこのうち,台湾(高尾)に建立された逍遥園に注目した講演が行われた。

 光瑞師はその晩年に,農業と深くかかわっていた。法主を辞任した後,その事業の拠点を南洋から台湾へと移していき,特に将来的に貿易上の要所になると予想された,高尾での熱帯農業を開始した。以後,台湾の新聞記事には,光瑞師の事業に関する記事がしばしば掲載され,また師も台湾の経済事業などに関し,幅広く執筆するようになった。

 当時の高尾は未開拓の状況であったが,光瑞師は,そこで合計1万7千坪の土地を購入し,同地に逍遥園を建立した。4万8千円ほどの経費を費やしてつくられたこの建造物には,西本願寺の別荘である京都の三夜荘の建築材が,部分的に移築された可能性が高い。その設計は,華美さはないものの,きわめて斬新であり,そこに光瑞師の思想が読み取れる。たとえば,瓦は日本のものと台湾のものが混ざり,日本の伝統的な様式に,倉庫のような構造が合体し,飛雲閣と似たつくりの部屋も存在するなど,かなり複合的なものであった。さらに,180人ほどが収納できる大きな防空壕も設けられており,これは台湾のメディアでも繰り返し報道されていた。

 光瑞師は,この逍遥園に5年間ほど住んだ。戦後には,建物が中華民国の軍病院の施設として接収され,光瑞師の寝室は,病院長の寝室となった。1954年には,政府がこの建物の維持を決定した。

 2003年,台湾政府が逍遥園とその周辺の土地の再建計画を立てた。この修復事業に呼応するかたちで,民間からも逍遥園の保存運動が起こった。学者や芸術家などが集まり議論を行い,メディアからも注目集めた。講演者の黄氏も,建物のガイド役としてこの保存運動に関与してきた。運動の過程では,日本時代の資料が発見され,また写真の展示会や学術的な講演会が開催されるなどしてきた。日本の研究者たちも訪れ,あるいは高尾の市民も巻き込むかたちで,運動が進められてきた。

 こうした修復事業と保存運動は現在も進行中だが,今後の課題は以下のとおりである。まずは公益性の問題で,一連の活動を可能な限り公共の利益に資するよう,方向付けていく必要がある。特に,この事業は一種の市民運動となっており,こうした特色は今後も拡大されていく可能性がある。また,台湾の他の西本願寺系の建物と連動して一般公開していくことで,観光地や,文化的交流の場としても活用できると思われる。次に,大谷光瑞師研究の上での課題で,逍遥園は師が設計したと推定される唯一の建物として,研究上きわめて重要である。その歴史は,まだまだ謎に包まれている部分も多く,これから軍隊の管理化にあった戦後の展開も含めた研究を進めていく必要がある。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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