研究活動

研究活動

2018年度 グループ1ユニットA 第1回国際シンポジウム〈研究発表会〉

報告題目日本仏教と論義
開催日時2018年5月12日(土)15:00~17:15
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
参加者42人

■報告者・題目:

西山良慶(龍谷大学大学院博士課程)
「法相論義の研究-論義「転換本質」における神通不思議論の展開-」

高田 悠(龍谷大学非常勤講師)
「凝然門下における非情成仏義の展開」

別所弘淳(大正大学非常勤講師)
「東密の論義-主に新義の論義を中心に-」

ザイレ暁映(法相宗大本山興福寺教学部員)
「儀礼としての法相論義-口頭論義の分類・構成・意義-」

■司会:亀山隆彦(龍谷大学世界仏教文化研究センター客員研究員・龍谷大学非常勤講師)

■主催:龍谷大学世界仏教文化研究センター アジア仏教文化研究センター
    名古屋大学人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター

【報告の概要】

西山良慶(龍谷大学大学院博士課程)
「法相論義の研究-論義「転換本質」における神通不思議論の展開-」
 論義「転換本質」は「無漏定通」を論じたものであるが、『同学鈔』の所述は簡潔に記されているにすぎない。しかし、未翻刻の論義資料を用いることで、緻密な論義がなされていることが明らかとなった。以前より指摘されている通り、『同学鈔』は正義結着の書ではなく、法相学侶のある種テキストノート的なものであったということが、改めて確認された。
 菩薩の定通の論理構造や菩薩の化益を受ける衆生の認識構造が明らかにされ、菩薩の利他行がどのように自分にはたらいているかということが明らかにされている。大力菩薩の加護がなされるあり方が教学のなかにおいても明瞭に位置づけられていったのである。
 仏道実践を修するものにとって、仏・菩薩の加被が自らに届くことについて、論理的根拠を求めたものであり、それによって導かれていくあり方の理解を助けるものであったといえる。
 室町期や江戸期においても良算や良遍のものを基軸として、さらに広く論じるものが見られ、これらを今後の課題とする。

高田 悠(龍谷大学非常勤講師)
「凝然門下における非情成仏義の展開」
 古くは空海、最澄により論じられ、非情に仏性を認めるか否かという問題が詳細に議論された。日本華厳においては、親円撰『華厳種性義抄』をはじめとする多くの書物で論じられ、他宗と同様に論義に用いられた資料が残されている。
 非情成仏義のなかでも仏性の有無、発心修行の可否など、様々な角度からの視点をもって論述している。さらに、法蔵、澄観説の会通だけでなく、非情成仏義のなかで華厳教学を主張していく姿勢がみられる。「吾宗」「自宗」として華厳宗としての非情成仏義を主張しようとしたのではないかと考えられる。
 これまでの日本華厳ではあまり論じられなかった非情の覚性についての議論が詳細になされる。非情を国土身としてだけではなく、有情の相をもって非情自体が発心修行するという説を打ち立て、「個」として非情について議論する姿勢が見られる。

別所弘淳(大正大学非常勤講師)
「東密の論義-主に新義の論義を中心に-」
 現在では根来教学を受け継ぐのが「新義」、それ以外が「古義」と扱われるきらいがあるが、厳密には古義とは高野山教学を指す用語である。このことより、新義・古義の相違は事相の法流によるのではなく、教相、教主義の相違によるものである。この教主義とは『大日経』の教主である法身大日如来が、どのような性格をもった尊格であるかについて論じたものである。
 新義の『大日経疏』系統の論義書の形成過程をうかがうと、一行の『大日経疏』から頼瑜の『大疏愚草』へとつながり、これは四三六題を収録するものである。これに続く頼瑜の『即身義愚草』、空海の『即身成仏義』という流れもあるが、聖憲の『大疏百条第三重』があり、これは『大疏愚草』・『即身義愚草』の論題を百題にまとめ、雑多な論義を三重の問答に整理したものである。そして、この三重の問答を二重の問答に整理した運敞の『大疏百条第二重』が後に続く。
 現状の課題として、『釈摩訶衍論』の論義研究がほとんど進んでおらず、『釈論百条第三種』の論題がどのように選定されたのか、その成立過程すら明らかではないこと。『大疏百条第三種』以外の論義書が、写本・版本しか残っておらず、活字化されていないこと。頼瑜については様々な側面からの研究が進められているが、聖憲は新義の論義を整理し、決定づけたとまで評価されるにもかかわらず、研究がほとんど進められていないことがある。そして、古義・新義の分流により、それぞれに属する研究者からの論義研究に限定され、東密全体での研究が行われていないことも挙げられる。

ザイレ暁映(法相宗大本山興福寺教学部員)
「儀礼としての法相論義-口頭論義の分類・構成・意義-」
 現在、興福寺において使用されている論義抄は聖覚房良算編纂の『唯識論同学鈔』である。論義抄と論義の形式として、二門二答の形式、最初の答えの省略、二回目の「問」の代わりとして「進云」「付之」「両方」とある。「論義体」の定型句として、口頭論義における実際の発言ではなく、口頭論義を文字化する時に用いられる表記。問者と答者のそれぞれの言葉を表すだけではなく、議論の展開を知らせる役割。論義抄に収められている論題の定型句の基準に則して口頭論義で用いられているフォーマットに書き戻せば、今日、法相宗に伝来する論義において、はっきりしたパターンが少なくとも9つ確認できる。
 論義の展開に基づく分類として、1つには「一遍(一返・一辺・一反とも)」があり、『無重問答抄』収録の百題のうち六一題がこれである。2つには「両方(両様とも)」があり、『無重問答抄』収録の百題のうち二十題がこれであり、慈恩会の竪義問答や慈恩会番論義である。3つには「進」があり、『無重問答抄』収録の百題のうち七題がこれであるり、問者は一定の基準を満たす質問を提供する責任があるとされる。4つには「答切進」があり、『無重問答抄』収録の百題のうち四題がこれであり、問者が答者の答えを切って、敢えて反論しないで、違う文句を引用して論義を新たな方向に展開させることができる。
 このような構造分析を踏まえると、日本仏教の教理形成に多大な影響を及ぼした口頭論義を可能としたのは、徹底した形式の成立といっても過言ではない。論義の形式は思想的な発展を防ぎ、内容を固定化させてしまうものではなく、逆に口頭の論争とは思えないほど、高度かつ活発的な論義を可能とした方法として高く評価すべきである。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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