研究活動

研究活動

2018年度 グループ2ユニットB 第1回国際ワークショップ

報告題目Shinran and Continental Philosophy(親鸞と大陸哲学)
開催日時2018年6月7日(木)13:15~16:30
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
ファシリテーター廣田デニス(龍谷大学名誉教授,アジア仏教文化研究センター研究フェロー)
コメンテーター嵩満也(龍谷大学国際学部教授),那須英勝(龍谷大学文学部教授)
参加者40人

Charles Hallisey(ハーバード大学・神学大学院,沼田恵範仏教文献学講座教授)

「On the Sources of Morality: Reading Shinran with Jankelevitch and Levinas」

Janet Gyatso(ハーバード大学・神学大学院副院長,ハーシェイ仏教学講座教授)

「Stepping out of the Bracket: Reading Marion for a Buddhist Way of Living with the World」

■共催:龍谷大学世界仏教文化研究センター(国際研究部門)

【報告のポイント】

 仏教や親鸞思想を,ジャンケレヴィッチやマリオンなど,20世紀の大陸哲学との比較から検討する二つの報告が行われた。続いて,報告に対する真宗学の立場からレスポンスを受け,比較思想や神学に関する議論がなされた。

【報告の概要】

 Charles Hallisey氏は,ジャンケレヴィッチとレヴィナスをおもに取り上げ,彼らの哲学の視点から親鸞の思想,特にその倫理的な側面を考察した。ある見方によれば,親鸞は倫理を説かず,「はからい(calculation)」を超えた他力的な救済論を強調したと理解される。だが,親鸞はむしろ,デリダのいう「倫理の倫理(ethics of ethics)」の探究者であり,自己の罪悪を見つめることで,良い生き方の可能性を深く考えていた。そして,この点について検討するためには,ジャンケレヴィッチやレヴィナスが論じた「やましさ(bad conscience)」の概念が参考になる。

 『歎異抄』に描かれる唯円との対話からわかるように,親鸞は,倫理は思弁の対象ではなく,私たちの人生に可能性として潜む悪との緊張関係のもとで,はじめて問題になるものと把握していた。ジャンケレヴィッチもまた,倫理は,何らかの過ちを犯してしまった人間が,「やましさ」のなか心の痛みを感じ,そして自己の良心の欠如を悔いるなかで問われると論じる。また,善行という自力の不可能性を説く親鸞の思想は,対象に向けた意識の直接性のなかに意識の「間接性」を論じる,レヴィナスの哲学に通じる部分がある。

 このように,「やましさ」の観点から各種の思想を見直す作業は,道徳の人類学を進める上で有効な方法である。今後,親鸞の著述から「倫理の倫理」にかかわる部分をもっと探し出し,今日の世界における親鸞思想の正しい位置を見定める必要がある。

 Janet Gyatso氏は,物質世界とりわけ身体という,私たちの認識や制御を超え出る次元からの倫理を構築するため,ジャン=リュック・マリオンの現象学を参照し,またその仏教との関係を考察した。マリオンの『Bing Given』は,フッサールとハイデガーの現象学を超えて,「純粋な贈与(pure given)」の可能性を論じる。マリオンは,現象学的な意味でのカッコの外部にある「もの(what)」に注意を向け,人間の志向性を超えた次元に開かれてあることを重視する。そして,個人の要求に基づき与えられるのではない,純粋な贈与の意義を考える。

 マリオンによれば,贈与は本来的に互酬性を排するものであり,その本質は現象学的還元をとおしてのみ真に理解できる。また,贈与は必ず何らかの物質的な痕跡を残し,これは他者の自己決定のあらわれと認識できる。ゆえに,贈与は現象学的なカッコの外部にある,物質の存在や,私たちが創造したのではない世界を知らしめてくれるのだ。

 マリオンが説明する現象学の方法は,仏教の瞑想と共通する部分が少なくない。仏教は,人間の思い込みや期待や文化的な構築物を停止させて,物事の真相を見通そうと試みるからである。

 こうした議論に基づき,たとえば動物の世界に対する倫理が導ける。動物は,人間には了解できない主体性や自己決定能力を持っており,それらを尊重する視点が得られるのだ。

【議論の概要】

 嵩満也氏は,親鸞と大陸哲学の双方を論じた先例として,京都学派の田辺元や武内義範の例などをあげ,今回の報告を受け,改めて「他力」の考えを取り込めば,現象学の理解も深まるのではと述べた。那須英勝氏は,親鸞に倫理がないという解釈や,『歎異抄』を中心に親鸞を論じるのは,19世紀以降に西洋思想や学問と日本仏教が出会ってからと指摘し,今後も現代の西洋哲学と親鸞のテキストの往還には可能性があると論じた。フロアからの質疑も含めた討論では,「倫理の倫理(ethics of ethics)」の意味や倫理の政治性などについて,意見が交わされた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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