研究活動

研究活動

2018年度 グループ1ユニットB 国際ワークショップ
「日本仏教と西洋/世界の19世紀」

開催日時2018年11月2日(金)13:00~18:00
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
ファシリテーター嵩満也(龍谷大学)
コメンテーター吉永進一(舞鶴工業高等専門学校)
参加者40人

【基調講演】

ハンス=マルティン・クレーマ(ハイデルベルク大学)

「19世紀グローバル宗教史の中の日本仏教―近代的挑戦と浄土真宗―」

【研究報告】

オリオン・クラウタウ(東北大学)

「明治期における大乗仏説と涅槃論」

長谷川琢哉(親鸞仏教センター)

「受容と抵抗―井上円了と欧米の東洋学・仏教学―」

岩田真美(龍谷大学)

「20世紀初頭における仏教のグローバル・ネットワーク―高輪仏教大学と万国仏教青年連合会を中心に―」

■共催:龍谷大学世界仏教文化研究センター共同研究「高輪仏教大学の研究」(龍溪章雄・研究代表)

【報告のポイント】

 近代日本仏教の研究者が国内外から集まり,特に19世紀の西洋世界との関係で,日本仏教にいかなる変化や,新たな思想・運動の展開が見られたのかを検討した。それまでアジアの宗教であった仏教が,西洋と接続することで大きく変貌した歴史が,詳細に議論された。

【報告の概要】

 基調講演でハンス=マルティン・クレーマ氏は,19世紀グローバル宗教史の観点から,当時の西洋と日本の宗教をめぐる状況の変遷を,仏教とりわけ真宗僧侶を中心に考察した。19世紀西洋では,アジアの宗教に関する知識が深まり,宗教間対話が開始される一方,科学の社会的進展や歴史主義の影響力拡大(ルナンによる「人間」としてのイエス論など)により,キリスト教(教会)の地位が危うくなる。こうしたなか,「宗教」の概念が,人間・情報・学知のグローバルな交渉過程とともに形成される。

 19世紀以降の宗教を考える際,理論的枠組みとして,科学をはじめとする近代的学問との「領域分離/同一性」という視点を採用できる。宗教と科学を別領域として,それぞれに固有の真理や機能を問うか(領域分離),あるいは両者に通底する部分を探り,宗教と科学の融合を唱える(同一性),という二つの異なる立場である。

 この枠組みのもとに日本仏教を見直した場合,浄土真宗の僧侶たちが示した言説の意義の大きさを確認できる。その筆頭が島地黙雷だ。島地は,はじめ宗教の合理性を強調し,科学と相反する迷信を批判した。だが,次第に外面を担当する科学と内面を担当する宗教との,役割分担を明示するようになる。つまり島地は,同一性から領域分担へと,自身の宗教言説の性格を移行させていったと言える。

 以後,島地より下の世代の真宗僧侶たちも,おおむね領域分担の側に立った言説を示す。吉谷覚寿は,内心と外相を分け,真宗教義の真俗二諦の説をそれぞれに配当し,内心での信仰に重きをおいた。近角常観は,科学・哲学・宗教の方法や目的を分析的に論じ,科学の営みは「実験観察」による「反覆循環するもの」の発見であるのに対し,宗教の目的は「絶対」だと位置づけた。

 こうした状況は,西洋でも同様に見られた。19世紀には科学による物理的世界の説明がキリスト教(教会)を凌駕しはじめ,20世紀の世紀転換期頃,マックス・ミュラーなどが宗教を内面的な次元へと集約させる。そして,南条文雄らが西洋に留学してミュラーと交流したのは,まさにこの時期であり,西洋での宗教概念や宗教学の形成に,日本の仏教者が影響を与えたと思われる。すなわち,日本仏教の西洋/世界との接続は,同時に,西洋宗教の日本仏教とりわけ真宗僧侶との交渉であり,これら一連の事態を,同時代のグローバルな現象として理解する必要がある。

 研究報告でオリオン・クラウタウ氏は,近代仏教(学)にとって大きな問題となった大乗非仏説について再考した。大乗仏教批判は近世から近代につながる問題だが,通説では,西洋の仏教学からの影響で近代的な大乗非仏説が問われるようになった,とされる。しかし,近代の大乗仏教論を幅広く見直すと,より複雑な事情があり,特に日本と西洋の双方で行われた大乗仏教をめぐる論争が,少なからぬ影響を及ぼしたのがわかる。

 1880年代,キリスト者の高橋五郎は,究極目的を「涅槃」におく仏教は,反社会的・国家的であると批判した。これに対して,仏教側からの反批判がなされた。また,吉谷覚寿は1886年の『仏教大旨』で,涅槃を仏教の目的とするのは不適当と主張し,「小乗」を中心とした西洋的な仏教理解への反発を示した。一方,西洋の仏教学でも,涅槃の内実に関し意見が分かれており,その実情を紹介するために,加藤正廓はミュラーの『涅槃義』を翻訳・出版した。

 さらに,吉谷は仏教批判を乗り越えるため,社会的な宗教としての仏教という見解を提示する。小乗の自利に対し,大乗は利他を尊重しており,社会的なものであるという意味で,大乗こそ「真正の仏説」としたのだ。以後,井上円了は小乗より発達した仏教としての大乗を説き,村上専精も同様の言説を繰り出す。すなわち,大乗はその仏説としての正当性が議論される以前に,涅槃をめぐる論争が展開されていたのである。そして,日本では,これは仏教と社会の関係をめぐる問題として語られた。

 長谷川琢哉氏は,井上円了が彼の仏教論を構築するにあたり,西洋の哲学や東洋学から何を学んだのかについて,新資料である円了の学生時代のノートに基づき検証した。円了には,表紙に「明示17年6月」とある「古代哲学ノート」がある。これは,1841-42年に仏語文献の英訳として刊行されたAn Epitome of The History of Philosophy(『哲学史提要』)の,「東洋哲学」と「ギリシア哲学」の部分を訳出しながら,随所に円了自身のコメントを挿入したものである。

 『哲学史提要』では,仏教を「唯心論」「唯物論」「個体的汎神論」の三派に分けて整理している。仏教を西洋哲学のカテゴリーで整理しており,これは円了に直接的な影響を与えた。ただし,円了は同書による「涅槃」の取り上げ方を批判しており,それは小乗の涅槃である「灰身滅智」に過ぎないと述べる。

 円了が大学卒業後に執筆した著作では,仏教の哲学的再構築が試みられている。そこでは,仏教の小乗から大乗への発展が,西洋哲学の概念を用いて論じられた。円了は,『哲学史提要』などから学んだ欧米の哲学や東洋学の知見を応用して,大乗を最も進化した哲学として語り直したのである。

 岩田真美氏は,19世紀の仏教グローバル化の動向を引き継いだ,20世紀初頭の高輪仏教大学(龍谷大学の前身)による「万国仏教青年連合会」について検討した。1902年4月,浄土真宗本願寺派の高等教育機関として,東京に高輪仏教大学が開設される。同校には高楠順次郎ら,宗門内の開明派が教員として集い,進取の気風を帯びた。そして同年5月,ダルマパーラが同校に訪れ演説したのを機に,万国仏教青年連合会の発足が発表される。

 同年9月,同会の発足式が行われ,桜井義肇が世界の青年仏教徒の連携を主張する。続いて,アイルランド人でビルマ僧侶のダンマローカが英語演説を行った。また会長に就任した島地黙雷は,「二十世紀世界的宗教」として仏教を世界に伝道し,日本を中心に仏教統一を目指すべきと宣言する。実際に,同会は国内外の12の仏教青年会との提携を達成した。その後も,高輪仏教大学では定期的な演説会が催された。内村鑑三からインド宗教者のプラン・シン,スワミ・ラムまで多彩な人物が講演し,互いに講演内容を自由に批評しあった。

 だが,宗門内の開明派と守旧派の対立により,1904年,高輪仏教大学は廃止に追い込まれる。これにより,同校の教員が中心となった万国仏教青年連合会の活動もやがて途絶えた。その活動は短命に終わったが,同会は1893年に開催された万国宗教会議のミニチュア版としての性格も有しており,今後より詳しい検証が求められる。

【議論の概要】

 吉永進一氏は,今回の諸報告により,西洋インパクトを最初に受けた世代(島地黙雷ら),続く世代(吉谷覚寿や井上円了),さらに海外発信を積極的に進める後の世代の,動向や言説が浮き彫りになったと指摘し,その上で,それぞれの主体が西洋といかに向き合ったのかについて,改めて具体的な特徴の説明を求めた。あわせて,20世紀にも持ち越される,西洋での大乗仏教の否定的な受容のされ方に関してもコメントした。

 長谷川氏は,円了の場合は西洋の学問に関心がありこそすれ,現実の海外はあまり意識しておらず,言論の向かう先は,国内のキリスト教や反仏教的な動きであったと応答し,円了の世代以降にグローバルな動きからの撤退があった可能性に言及した。クレーマ氏は,大乗仏教の西洋での評価については,実践と学問とで差異があり,実践では評価されないが,学問上は一定の受容がなされていたと述べた。クラウタウ氏は,大乗仏教の受容のされ方は時期ごとにかなり異なり,当初は大乗/小乗の教義的な問題ではなく,パーリ語・サンスクリット語と漢訳という,言語の違いの問題であったと指摘した。また20世紀に入ると,日本仏教は西洋との関係よりもアジアとの関係が大きくなり,大乗仏教の教義をめぐる問題はますます後退すると論じた。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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