研究活動

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2018年度 公募研究成果報告会

開催日時2019年2月22日(金)13:00~15:00
場所龍谷大学大宮学舎西黌2階大会議室
ファシリテーター嵩満也(龍谷大学教授),若原雄昭(龍谷大学教授)
参加者15人

川本佳苗(東南アジア地域研究研究所・連携研究員)

「大衆のヴィパッサナーから聖者の禅定へ―日本におけるミャンマーのパオ仏教瞑想法の意義」

菊川一道(龍谷大学非常勤講師)

「真宗私塾と初期海外伝道」

【報告のポイント】

 2018年度のセンター公募研究成果報告会として,現代ミャンマーで流行し日本でも展開している瞑想実践に関する報告と,浄土真宗本願寺派の幕末・明治初期の私塾と海外伝道に関する報告が行われた。

【報告の概要】

 川本氏は,現代において仏教瞑想はどのように実践され,人々は瞑想に何を求めているかを考察するため,ミャンマーのパオ瞑想を事例に調査した。おもな対象は,ミャンマーでのパオ瞑想の展開と,日本での瞑想実践者の二つである。

 ブッダに始まる仏教瞑想は,サマタ(止)とヴィパッサナー(観)の二つに大別され,このうちミャンマーでは後者が強調される傾向にある。そこには歴史的背景があり,一つにはレディ・セヤドーが推進した出家者による修行の大衆化としてのヴィパッサナーの普及がある。加えて,ミャンマーの脱植民地化の過程でヴィパッサナーが国民のアイデンティティ形成に用いられた,という経緯があるようだ。他方,これによりサマタは軽視ないしは否定的に捉えられるようになった。

 しかし現在,サマタを必須とするパオ瞑想の人気が高まり,国内に多数の支部を持つのみならず,日本を含めたアジア各地に実践団体が形成されている。人気の理由はどこにあるのか。川本氏による聞き取り調査によれば,ミャンマーと日本のパオ瞑想実践者はいずれも,初心者ではなく,他の瞑想に不満を感じパオに移った者が多い。彼らがパオを選んだ理由は,修行プロセスの正統性(瞑想者は律の厳守が求められる),修行により高度な集中力を獲得した指導者への畏敬の念があることが判明した。

 今後の課題として,川本氏は,瞑想の歴史に関する文献研究や,パオ瞑想を行う者たちのさらなる実態調査が必要だと述べた。

 菊川氏は,従来の近代仏教史や真宗教学史の研究では,中央の学僧・知識人以外の領域や,地域社会と寺院の関係が十分に検討されておらず,それゆえ地方(九州)の真宗私塾に関する研究には大きな意義があると主張する。今回は特に,東陽学寮と信昌閣を題材に考察した。

 江戸から明治時代にかけ,日本には少なくとも1500校の私塾が存在した。藩校とは対照的に,私塾では塾生の身分や出身地は問わず,自由な風潮があった。そして仏教系の私塾も少なからず運営されたが,これに関する研究はほとんどない。

 本願寺派で私塾が隆盛し,各地に次々と誕生したのは,三業惑乱以降,それまでの教化制度が崩れ,自由討究が公認されたのが大きい。このうち大きな勢力の一つが,豊前の東陽円月(1818-1902)が設立した東陽学寮で,そこからは曜日蒼龍(1855-1917)を筆頭に,数多くのハワイ開教関係者が輩出された。

 一方,東陽学寮のライバル的な存在として,松島善譲(1806-1886)が創設した信昌閣がある。松島は,空華学派の大成者であり,その教学は東陽円月とは対立し,論争も起きた。松島(空華学派)の学風は,阿弥陀仏の「絶対善」と人間の「絶対悪」を強調するのに対し,円月(東陽学寮)のほうは,阿弥陀仏信仰による人格育成と社会実践を説いたのだ。東陽学寮の出身者の社会性の強さは,後に本山から批判的に評価されもするが,そうした性格が形成された原因の一つに,信昌閣のような他の私塾との対立や論争が影響した可能性もある。

【議論の概要】

 川本氏の報告に対し,なぜサマタとヴィパッサナーが二者択一的になったのか,またパオ瞑想が書物の読解に基づき開発された点は問題にならなかったのか,等の質問があった。これに対し川本氏は,ミャンマーではレディ・サヤドーというカリスマが登場したのが大きく,またパオ瞑想を創造したパオ・サヤドーもそれ以前には師匠についていたと回答した。

 菊川氏の報告に対し,曜日が使用していた英語のテキストや,ハワイ開教関係者の具体的な歩みの実態等について質問がなされた。これに対し川本氏は,東陽学寮で用いられていた文献については不明瞭なところが多いこと,またハワイ開教の当事者については,真田増丸のような著名人以外は追跡するのが難しいが,ハワイ側の資料を使えばわかる可能性もあるとし,今後の課題とした。

【文責】アジア仏教文化研究センター

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